赤塚高仁ブログ

どんな天気も喜ぼう

2019.02.01

 「天気が悪いから、今日は人が来ないですよ」
と、講演会の主催者が私に言う、
「ごめんなさい」
と、私は謝る。
人が来ないのは、天気のせいではなく
私の人気のせいだから。

 いつからか、私は「悪い天気」という言葉を口にしなくなりました。
寒い、暑いという感想は言いますが、
できるだけそのあとに、「寒くて素敵」「暑くて嬉しい」と言うようにしています。

 「空が一面にわかに掻き曇り・・・」というと、
不吉な予感というのが立ち上がってきます。
でも、
イスラエルでは、祝福の言葉です。
砂漠では、雲ひとつない晴天が日常であり、
雨が降るのは天の恵みなのです。

 聖書講座の準備のために、
創世記を読み返しています。
驚くべきことに、またまた新しい発見がありました。
天地創造のときに、創造主であられる「GOD」は、
はじめに天と地を創造します。

 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
(創世記1−3)

 神はまた言われた。
「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」
そのようになった。(創世記1−6)

神が言われたことが、現実になってゆくのです。
そして、

神は自分のかたちに人を創造された。(創世記1−27)

 創造の前に「言葉」があるということです。
つまり、言葉することが現実になるのです。
今存在するありとあらゆる森羅万象が、神の言葉なのです。

晴天も雨も雪も全部、神の言葉です。
だから、それを悪く言うのは神への冒涜でしょう。
神さまを味方につける生き方をしたいと思いますから、
あらゆるものを褒める人になります。

 「神が自分のかたちに人を創造された」ということは、
神さまが二本足で立って歩いているわけではありません。
肉体は、地球という星を学ぶためのモビルスーツでしょうか。
また、神さまを迎え入れる神殿でもあります。
聖書のこの箇所は、
神と同じように、言葉することができ、それが現実になる、
ということなのです。
だから、
言ったことが現実なるのです。
「思考は具現化する」と言われますが、
そうではなく、言うとそうなるのです。

 創世記のこの箇所は、とても大切です。
私たちは、一人一人、自分の人生の創造主なのです。
だから、
「光あれ」と言わなければなりません。

口から入れたものが肉体を作りますが、
口から出すものが人生を創造します。
だから、
命がけで良い言葉を吐き出しましょう。

 「吐く」は、口からプラスとマイナスが出ています。
ここから、マイナスを消してプラスだけにしてみましょう。
 「叶う」
ほら、口から十を出していると、願いが叶うのです。

先人の教えを学び、人生を深めてゆこうよ。
明日と明後日は、呉で聖書講義です。
創世記を深く語ります。
参加者の人生が大成功となる、すごいセミナーになりますよ。

 

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