赤塚高仁ブログ

ねばねば菌vsこうじ菌

2019.12.05

ずっと長く
「こうあらねば」「やらねば」って
ねばねば菌に侵されて生きてきました。

建設会社の長男やから、
社長にならねば

男はつよくあらねば

よく建設会社の社長を30年もやってきたものです。
ねばねば菌にからまれながら。

でも、
人は幸せになるために生まれてきたのです。
幸せとは、義務的要素がないことです。

「楽は苦の種
 苦は楽の種」
って、教えられたのです。

でも、それはウソだと分かりました。
楽の種を撒かないと楽は花咲かない。

「楽」って
好き放題することじゃないってことも、
分かりました。

「たのしい」と「らく」は違うから。

自分が本来あるべき場所、
つまり、
生まれてくる前に神さまと「聖なる約束」をしたことを果たすことこそ、今世での私の仕事場所ってことです。

だから、
家が医者であろうが、
魚屋であろうが、
建築屋であろうが、
そんなことは関係なく、
そこにいて、
それをしてると、
嬉しくて、
やめられない止まらないことをするために私たちは生まれてきました。

そこに、
「努力」や「苦労」はありません。
多分、
「努力はいつか報われる」と、
報われなかった人たちの呪いをかけられてしまったに違いないのです。

「野球なんて大嫌いだけど、
父ちゃんの夢を叶えるために、
俺は犠牲になるんだ!」
って星飛雄が言ったとしても、
本当は、野球が好きで楽しかったんです。
でなければ続かないし、
巨人軍に入ったりできませんから。

どうやら、
昭和の時代の価値観では、
令和は生きていけないようです。

ねばねば菌は、
納豆みたいに人をくっつけて、
人の目と評価が何よりも大切だと思わせます。

 こうじ菌は、ついにねばねば菌に勝ち、好きなことだけをして生きて、人生を楽しみぬいて、いつも喜んでいる世界の扉を開きました。

 するとどうでしょう、
そこには、好きなことで生きて、美しく稼いで、たくましくつながっている人々が笑って暮らしているではありませんか。

 「この世は地獄だから、死んだら天国に行けるように神さまに祈る」
って人たちがいます。

それは無理。

 天国は、喜んで生きた人がいるところ。
ここが天国です。
死んだら、
天国だの地獄だのって、
そんな分離はありません。

私たちは、もとのワンネスに還ります。
宗教は、もういらないのです。

 「いつも喜んでいなさい。」

これが、イエスの教えの核です。
イエス自身も愉快で素敵で魅力的な男でした。
でなけれは、人は寄ってきません。
超絶モテたでしょう。
ユーモアのセンス抜群で、話も面白いし、歌も上手いしカッコいいから、当然のことです。

 地上を天国にするために、楽しいこと考えて、面白いこと言って、好きなことで稼ぎます。

 こうじ菌いよいよ増殖。

今日は、サッポロ講演。
エネルギー全開で、やまとこころのキャンドルサービスやったるでーー!

 

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