赤塚高仁ブログ

パクスロマーナ

2019.02.10

名古屋講演は素晴らしい2時間でした。
来てくださったお一人お一人が、
それぞれの人生と向き合い、
豊かに生きること振り返る、
大切な学びを聖書から得ました。

時代を超えて伝わる、
本当のことを生きていきたいと
願わされてなりません。

名古屋講演終えて、
広島は呉に移動。
そこに友がいるから。

友がいて、
美味しくお酒飲んで、
笑えたら幸せです。

今回の人生、
日本に生まれてよかった!
としみじみ思うのです。

 「全ての道はローマに通ず」
そんな時代もありました。

イエスが生きていたころ、
世界の中心はローマ帝国であり、
世界の警察もローマ帝国でした。
やがて、
パクスブリタニカ、
世界の中心は大英帝国となり
20世紀は、
パクスアメリカーナ、
米国が世界の警察だったわけです。

 糸川先生が亡くなる前、
やがて米国は滅びてゆき、
少しの間、日本が世界を照らす光になるでしょうと言われました。
その後、インドが世界の中心になる・・・と言いましたが、
さて、
どうなることでしょう。

 7つの海を支配して、
70もの植民地をもち、
日が沈むことのない大英帝国が、
いまや落ちぶれたみじめな国になり果てているのをみると、
盛者必衰のことわりを思わずにはいられませんね。

EU脱退の騒ぎの時に、若者たちが大喜びしていたのをニュースでみていました。
国民投票で決まったことです。
EU脱退は、ヨーロッパの国々から言われたことではなく、
英国民が決めたのです。
民意で決めたことが、その後2年経って、
どう具体的にするかと動き出したら、国民は動揺して収拾がつかなくなってしまっています。

民意を無視したからではありません。
民意を尊重すると、とてもめんどうなことになります。
思考と感情で動く大勢の人の声が、人類の歴史の中でとんでもない問題を起こしているのです。
町の声というのは、
思考と感情から出てくるもので、
決してビジョンや使命感から発せられることはないのです。
強力なリーダーシップをもつ独裁者が世の中を悪くしたのではないと思います。

民主主義がヒトラーを生んだのです。

アウシュヴィッツは、ヒトラー一人が為したのではなく、
町の声が生み出したものだと、私は考えています。
国民主権とは、一体どういうことなのか、
私たちは考えなければなりません。
私たちの代表である政治家たちが、国を愛するということを忘れてしまったのでしょうか。
日本は、日本人だけのものではないと言った総理大臣もありました。

民意を聞いたとき、
ユダヤ人は救い主を殺したのでした。
イエスが十字架に架けられた時、
ユダヤはローマ帝国の属国でした。
総督ピラトは、そのときユダヤを統治していました。
ユダヤの過越しの祭りのときに、
犯罪人を一人赦免するという習わしがありました。
ピラトの前に二人の罪人が引っ立てられました。
ピラトは、どちらを選ぶか迫られたのです。

 二人のうち一人は、盗賊の頭バラバ。
もう一人がイエスでした。
バラバは革命を企み、人殺しもやったであろうテロリスト(ローマから見れば)
かたやイエスは、
町の人々から歓声を浴びて都に入った若者です。
犯罪を犯すどころか、
病人や辛い人たちを癒してきたのです。
ただ、
ユダヤの律法学者や宗教家たちは、
従来のユダヤ教の戒律を乱す新興宗教の教祖として憎みました。
革命的な教えにより、保守的なパリサイ派やサドカイ派の怒りを買い、
訴えられていたのです。

 ユダヤは、死刑を宣告する権利はありません。
ローマの法律によって裁き、判決を下す義務が提督ピラトにはありました。
破壊も、盗みも、殺人も、政治活動もしていないイエスを死刑に処することはできません。
しかし、イエスを助けることでユダヤ教徒の反発を買って、
それが反ローマの暴動にでもなれば、責任はピラトにかかってきます。
所詮出先機関のトップに過ぎないのですから、
出世の妨げになるような汚点は残したくありません。
役人根性です。
彼が決めたのは、住民に決めさせようということです。
民意に丸投げしたのです。

「群衆の前で手を洗い、
「この人の血には、わたしには責任がない。
お前たちが自分で始末するがよい」
すると、民衆全体が答えて言った、
「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」
そこで、ピラトはバラバをゆるしてやりイエスをむち打ったのち、
十字架につけるために引き渡した。」

と、マタイ伝に書かれている通りです。
では、
あのとき票を投じたユダヤ人は、
本心からイエスを殺したかったのでしょうか。
彼らに票を投じさせた理由は何だったのでしょうか。

前大阪市長の橋本徹氏は、市民投票についてこう言っていました。
票を投ずる3分の1はそれに賛成な人。
他の3分の1は反対な人たち。
結果を決めるのは残りの3分の1で、
彼らは提案されていることについての賛否ではなく、
提案した人への好き嫌いの感情で投票するのだと・・・

憲法改正も国民投票が必要です。
民意に聞くということがどれだけ危険なことなのか、
考えてみるべきですね。
国民投票をするというのは、
選挙で選ばれて政治を託された国会議員が、
ピラトのように
「お前たちが決めてくれ」と言っているに過ぎないのです。
まさに、
代議制民主主義の放棄です。
国民投票に政治生命を懸けるという政治家は、
これからピラトと呼んだ方がいいのかも知れません。

民意なる危険な感情に振り回されることなく、
大局を見定めて国家のかじ取りをしてくれるリーダーが今ほど必要なときはありません。

イスラエル建国の時、
民意に聞いていたらどうだったでしょうか。
アラブ諸国と戦える力をつけてから・・・という気運が高かったのも事実です。
しかし、
ダビッドベングリオンは、
「Now or Never!」(今か、二度とないか だ!!)と、
建国宣言したのでした。

民意という幻想から目を覚ませと、聖書は教えます。

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