赤塚高仁ブログ

信じ仰す心

2020.07.14

 阿蘇国立公園の中に「風の丘 大野勝彦美術館」があります。

個人の名前が付く美術館が世界にいくつあるのかは知りませんが、
それらのほとんどは作家が亡くなった後、名前が売れて絵の価値が上がって、美術館として成り立っています。

 作家が生きているうちに美術館を持つなどという話は、あまり聞いたことがありません。
大野勝彦美術館には、大野勝彦本人がいます。

しかも、大野勝彦さんが絵を描き始めたのは、45歳からです。
それも、両手を失ってからです。

手のない画家が、義手で描いた絵を展示し本人と触れ合える世界唯一の美術館、
それが阿蘇にある「風の丘 大野勝彦美術館」なのです。

私が大野勝彦先生にお出会いいただいてから、30年ちかく経ちます。

 大野先生は、いつも機嫌がいい。

 大野先生は、頼まれごとで「NO」と言ったことがありません。

予定が重なったりして無理な時は別として、すべて「ハイ、よろこんで!」

住んでいる次元が違うのだなぁと思います。

 45歳で両手を失うという、想像を絶する世界に入れられた大野先生。

手を農機具にはさまれて、
「誰かーーー助けてくれーーー!」と叫んだところに飛んできたお母さん。
「どげんしたらよかと!?」
 「スイッチば切ってくれーー!!」
お母さんはスイッチの切り方が分かりません、そして腰を抜かして倒れてしまいます。
右手が巻き込まれ、それを助けに行こうとした左手も入っていく・・・

誰もいない
もはや、
 「死ぬ」 か 「手をちぎるか」

よし、手を切ろう 

 そう決めて、全体重をかけて手を引きちぎった大野先生でした。

帰ってくるはずのない息子が帰ってきて、血が吹き出す両手をタオルで縛り、
救急車を呼んで、奇跡的に大野先生は一命をとりとめます。

 病院でも、お母さんは、毎日泣いてばかりいます。
「私の手をお前にやりたい、私がお前の手を切った」
手を失った大野先生より弱ってゆくお母さん、全く何も食べなくなってしまいました。
 「このままでは、母ちゃん死ぬばい。俺が変わらんと!!」

大野先生は、お母さんの笑顔のために、手を切った3日後に包帯で巻かれた腕にマジックをくくりつけて、初めて字を書きました。
痛みのため、2時間かかったといいます。

「ごしんぱいを
 おかけしました
  両手先ありませんが
 まだまだ これくらいの
ことでは負けません
 私にはしなければならないことが
 たくさんありますし
多くの人が
 私をまだまだ必要としているからです
  がんばります
   平成元年7.25
         勝彦」

 「母ちゃん、母ちゃんのために美術館つくってやるばい!!」

手のない大野先生は、お母さんに言います。
お母さんは笑顔を取り戻しました。

「両手への賛歌」が大野先生の最初の本となりますが、絵はありません。
絵など描いたことがなかったからです。

 手がない、絵など描いたことがない・・・そんな人が美術館を創るなんて世界に例はありません。

でも、お母さんは
「勝彦、いつ美術館はできると?」と信じ続け、
大野先生も美術館が阿蘇につくるのを願い続け、
なんと事故から15年、「大野勝彦・風の丘美術館」が誕生しました。
能力?
才能?
精神力? 
運命?

私は、人生で大切なのは「信じる力」だと大野先生から教えていただきました。

仕事でも人生でも、成功や夢を追っていて挫折するのは、気合の欠如でも才能でも精神力の欠如でもなく、
「信じる力」の欠如です。

どんなに実力があろうと、成功を信じる力がなかったら、精神力すら出ません。

「氣合いだ!」「根性だ!」と言ってみても、そんな精神論は絵に描いた餅です。

「信じる」
「信じ切る」
そして「信じ仰す」・・・しんじおおす・・・

 「信じる」とは、「信じない」の反対です。
「信じる」「信じない」の両方で成り立つ、二元の世界です。

「信じ切る」は、信念的に強くなるけれど「信じない」も強力に内在させています。

「信じ仰す」という世界は、「信じる」「信じない」という二元の世界ではなく、
あるがまま、すべてを受け入れ、存在そのものを認める分離のない世界なのです。

そこは、もはや神の領域であり、そこには「不可能」の文字はありません。

イエスが、「もし、からしだね一粒ほどの信仰があれば、山を動かすこともできるだろう」
と言ったのは、その世界のことでしょう。

「信じ仰す」・・・それが「信仰」なのです。

そして「利他の心」でしょうか。
まわりの人の笑顔を守るために大野先生は命をかけて来られたのです。
お母さんの笑顔、愛する家族を守るため。
自分が有名になりたい、お金を稼いで好きなことに使いたいという「自我」を満たすための動機が微塵もないのです。

「五体満足で地獄に落ちるより、両手を切って天国に入れ」と、イエスは言いました。
まさに、自分に死んで、この世に勝利した姿がそこにはあります。

 やがて大野先生の美術館は、40万人もの人たちが訪ねる阿蘇の新名所となってゆきました。
大野勝彦先生の笑顔とエネルギーに触れて、どれだけ多くの人が救われていったことでしょう。
ところが、
2016年の4月16日 南阿蘇を大地震が襲います。

美術館の敷地は地割れし、道路は崩れ、道もなくなり、水も来なくなりました。
建て物は危険だから立ち入り禁止命令が出されます。
 阿蘇に向かうための大橋も、復旧できていません。
 誰もが美術館の復興は不可能と考えました、二人を除いて。

お母さんと大野先生の二人は、信じ切る世界を通り越して「信じおおす」世界で美術館の復活に動きました。
「母ちゃんは96歳、もう時間がなかと。
  すぐやらんといかんばい!」
毎日役所に通い、許可をもらうために頭を下げ続けた大野先生。
熊本に業者がおらんのなら、県外からでもきてもらおうと、
長崎の建設業者に動いてもらいました。
日本中から大野先生のために義捐金が集められました。

奇跡は信じる心が起こすことを、またもや大野先生は見せてくれました。
  熊本は阿蘇
大野勝彦・風の丘美術館  復活しました。
オープンしてすぐに飛んでいきました。
 玄関で大野先生と抱き合ったら、涙が止まらなくなってしまいました。
 
ここは、日本が復活する一つの指針であり、
人が人として生きるための原点回帰する聖地です。
 そこで、風に吹かれるだけでいいのです。
生きていることのなつかしさに、胸が熱くなりますから。
 そして、何故胸が熱くなるのか
わかる仲間が集まるところでもあるから。

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 「特別なお知らせ」です。
大人の修学旅行「やまとこころを燃やす旅・熊本編」

8月9日(日)~10(月祝)
9日  熊本駅11:10 もしくは熊本空港12:20集合
10日 熊本空港13:30 もしくは熊本駅14:30解散

大野勝彦美術館では、大野先生と赤塚高仁の特別講演会あります。
ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐のお墓参りも。

 まだ少し席があります。

北海道聖書塾、塾長 工藤孝史さんが幹事として動いてくださっています。

TEL090-1524-3010

メール tku2@me.com

お問い合わせください。

これまでの延長線上に未来はありません。
すべてが根こそぎ変えられてゆくときに、大野勝彦先生に会いに行こうよ。
人生で一番大切なものが何かわかるから。

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