赤塚高仁ブログ

文藝春秋3月号

2019.02.08

 以前、森友問題で安倍昭恵さんがバッシングされたとき、
赤塚高仁、舩井勝仁も一味のように書かれましたね。
(引用ここから)

「経営コンサルタントでスピリチュアリストとして知られた、
舩井幸雄の没後、その人脈や事業は息子の舩井勝仁に引き継がれた。
彼は、雑誌「ザ・フナイ」を発行、父と同じように数々のスピリチュアリストたちを束ね、
「舩井ファミリー」を作っている。
昭恵は彼らと非常に近い。
というよりも、ファミリーの一員として、何度も紙面に登場している。
「ザ・フナイ」2017年1月号には、
この舩井勝仁と昭恵、建設会社代表取締役の赤塚高仁、
新しい光エネルギー技術を用いた冷暖房システム「光冷暖」の発明者の二枝たかはるによる座談会が掲載されている。
・・・・・
 この赤塚はスピリチュアル系の自著を多数、出版しており、
昭恵は彼の本を愛読し、非常に親しく交際している。
・・・・・
 また彼は、教育勅語の熱烈な礼賛者でもあり・・・(引用ここまで)

 取材の申し込みはありましたが、お断りしました。
にもかかわらず、苗字を呼び捨てに書いてくださった文藝春秋です。
その文藝春秋が、
また、3月号に赤塚高仁を載せてくださいました。
ある連載の登場人物としてです。

 ノンフィクション作家の清武英利さんが、
「後列のひと」という新連載を開始され、第二回目に登場することになったのです。
後列の人とは、後ろの列の目立たぬところで人や組織を支える人々の物語です。

去年から何度も取材を受け、
私のログハウスにも泊りがけで来られました。
糸川英夫のことが書きたい、と言われました。
ロケット博士として脚光を浴びた有名人としてではなく、
一人の人間としての姿を伝えたいのだ、
だから、
協力してくれないか、と言われました。

私も、人間として清武さんのことが好きになりましたから、
できる限りの協力を約束したのでした。
ただし、アンさんのことをちゃんと書いてくれるなら、
という条件付きで・・・

 送られてきた文藝春秋3月号496ページには、
糸川先生がアンさんと並んで写り、同じページに
「二人の恋の墓守・赤塚高仁氏」と私の写真も載っています。

私と糸川先生との出会い、聖書の勉強会のこと、
先生からかかって来る電話のこと、
晩年の先生、そして先生とのお別れ・・・
読んでいるうちに走馬灯のように思い出が蘇って来て、
・・(ここから引用)
「いよいよ身体が動かなくなった頃、
アンさんは糸川の手を握りながら、赤塚に漏らした。
『あたしは今が一番幸せなの。
 ヒデちゃんが私だけのものになったのよ』
一方の赤塚は師を失う不安から、
糸川の車椅子を押しているときに尋ねた。
『先生、僕はこれからどうしていくのがいいでしょうか?』
細い声が帰ってきた。
『自分で考えなさい』
そうだ、先生はもういなくなるのだ。」
(引用ここまで)

 この場面を読んでいて、その時の糸川先生の声がありありと聞こえてきました。
そして涙がこぼれてきました。
先生と出会って30年、
私が大きな決断をして、「ヤマト・ユダヤ友好協会」を立ち上げ、
講演や執筆で生きていこうと宣言した、ちょうどこのタイミングでこの文章です。
まさに、
天の声、糸川先生からのエールと思え、
有難さで泣けてしまいました。

 仰げば尊し、わが師の恩です。

恩返しは何もできませんでしたが、
これから恩送りをして、周りの人に役立ってゆきます。
人に喜ばれる存在として生かしていただきます。

天国の糸川先生とアンさんに再会するその日まで、
手のひらをもらうためより、あげるために使ってゆきます。
どうか
天から応援をお願いします。

 文藝春秋3月号、是非お読みくださいね。

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