赤塚高仁ブログ

旅立ちの春です

2018.04.02

朝3時に出発して、
東京は新宿、アパートの鍵 9:30に受け取りました。
片道400キロ、
ボルボに荷物積んで走ってきました。

この春から、
マホちゃん先生が
東京にある出版社で働くことになりました。

マホちゃん先生の東京一人暮らしが始まるのです。

子どもって、いつの間に大人になるのでしょうね。
自分が上京した日のことは、いまでもよく覚えています。
娘が東京で暮らすことになるとは、
思っていなかったけど、
人生は何でもありですね。

私は、40年前、
浪人生活を送るために、夜汽車に乗っていきました。
「浪人するような者が、新幹線に乗るのはぜいたくだ」と父が言ったからですが、
寝台列車は、新幹線より高かったですよ、お父さん。

 あの時、私は18歳で、この先どうなるのか、何になりたいのか、
どうして大学に行かなければならないのか、何もわからないのに、
わからないから東京に行こうと思いました。

大学に行ったら何かが見つかって、
どこかで生きていくことになるのだろう、
三重にはもう戻らない。
そんな、気持ちがあったのは覚えています。

寝台列車でも眠れず、ずっと本を読んでいました。

運が良かったのでしょう、明治大学に入ることができました。
いい学校でした。
「おお~明治~~」の校歌は今でも好きです。

 浪人生活と大学生活合わせて5年間東京で暮らし、
東京で入社試験を受けた大手ゼネコンのうち、
飛島建設に合格して入社。
東京で暮らすのだろうと思っていたら、
配属先は四国支店。
4500人も社員がいるのに、四国支店は45人。
新入社員2人配属されましたが、
一人は翌日から瀬戸大橋の現場に行って、
私はひとりぼっちでした。

右も左もわからない四国の香川県、高松で結婚、
県営住宅に暮らしました。
四国暮らしの成果は、88か所お遍路の掛け軸の完成でしょうか。

 サラリーマン生活は楽しかったのですが、心の深いところでは悩み苦しんでいたのでしょう、
うつ病になってしまいました。
いい大学をでて、いい会社に入って、結婚して、子供に恵まれ・・・・
外からみれば順風満帆、でも、内側は闇の夜。
案外、どんな人もそんなものではないのかな、と思います。
だから、人をうらやんではならないと思うのです。
うらやむ心は、ねたむ心を連れてきますものね。
それでも、
人と比べて一喜一憂の日々は終わりません。

 こんな者を父と選んでやってきてくれたマホちゃん先生。
苦労を掛けていますが、何か立派なアドバイスもできなくて申し訳ないです。
父もまだ未熟で、どうしたらよいのかわからずにいるのが本当のことです。
でも、
ひとつだけ言ってみたいのは、
自分のいる「今」「ここ」から一歩踏み出すことを、どうか諦めないで。
 若いうちは、困ったら誰かが助けてくれるかもしれません。
それも、20歳くらいまでのことでしょう。
そこから先は、自分で道を切り開いていくしかありません。
若さや美しさなど、あっという間に資産価値ゼロになってしまう。

 仕事のスキル、人としての魅力、経済活動など、学ぶことはいっぱいあります。
自立するのは容易なことではないからね。
それに、結婚がゴールなんかじゃないことは、お母さんを見てて思うでしょう。
安定した一流企業の営業マンだと思って結婚したら、
うつ病になり、会社を辞めて、親の会社を継いだら、両親とうまくやれない夫。
公務員の娘として堅実に生きることを教えられてきたのに、
商売人として売り上げや、資金繰りに悩まされているお母さんは、家のことも、
子育ても一所懸命やってきました。
 
 結婚がゴールではないことはわかりますね。
つぶれない会社、病気にならないいつも元気で明るい夫は、この世に存在しません。

そうなってから、
「こんなはずじゃなかった」
「私は悪くない」では、通らないのです。
 だから、お父さんはマホちゃん先生が
「白馬に乗った王子様を待たないで、
 白馬のような社長の奥さんになるよりも、社長になって」欲しいなぁと思います。

 女性を磨くというのは、エステやネイルサロンに通うことではなく、
西麻布のお寿司も、素敵な指輪も自分で買えるようになることやで。
そのほうが、絶対に楽しい。

 マホちゃん先生、
世の中には、立派なことを書く人や言う人いっぱいいます。
自己啓発セミナーも腐るほどあります。
でも、本当に腐るほどそんな勉強してきたお父さんが言いたいのは、
立派になってくださいというようなことじゃない。

 転ばないで生きることだけが、ただ、
いいことではないのです。
転んだ時に、起き上がること。
きっと、何度でも転ぶ。
そのときに、腐らないで立ち上がりましょう。
 願うのは、ただそれだけです。
 どうか覚えておいて。
 本当にそれだけしか願っていません。
 どこにいても愛しているよ。
 
出版社で喜んで働いて、
いつかお父さんの本、
作ってくれたら嬉しいです。

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