赤塚高仁ブログ

時を超える本当のことを

2019.12.11

 サンタがプレゼントをもってやってくる、
不思議な儀式がやがてやってきます。

 小学生の頃、
父親がプレゼントを枕元に置いていったのを、
寝たフリして見てて、
朝になって

「わぁ!」

と、わざとらしく驚くイヤな子どもでした。
私。

 それでも、
本当に嬉しかったです。
欲しいものがいっぱいありました。

 
 昭和34年生まれの私は、
ちょうどもののないときから、
ものが溢れるまでの
だいたいみんなを見てたような気がします。

まず、生まれ育った家には電話もテレビもありませんでした。

電話は、近所のおばさんちに借りに行きました。

テレビもそこでみせてもらってました。

そのうち家の前の駄菓子屋に、公衆電話がついたので、10円持ってかけにいきましたね。

テレビが来たのは、ワシが幼稚園の時でした。

NHKのちろりんむらとクルミの木、ひょっこりひょうたんじま・・・鉄腕アトムが始まったのもその頃ですね。

風呂もマキで沸かす、五右衛門風呂。

風呂を沸かす時間もない時は、銭湯にいきました。

 自動車を持ってる家なんて、町内にほとんどありませんでしたから、
うちには、ラビットのスクーターとリヤカーがありました。

そのうちに、ダットサンのトラックがやってきたけど、
500メートル先の海に行く途中、3度もエンストしたのが蘇ります。

そのたび、車の前からクランクシャフトを差し込んでまわし、エンジンをかけるのです。

どの家にも、庭には井戸があって、水を汲むのは子供のしごと。

なんだかんだと、よくお手伝いしたものです。

 チラシは、よく空からセスナ機がばらまいてました。

空を見上げながら走り回るのですから、今なら危なくてしょうがないですね。

よく溝にも落ちたものです。
そのドブに、ドジョウやふなやメダカが泳いでいました。

チンドン屋が身体に宣伝くくりつけて、音楽演奏しながら、踊るように町内を歩きまわっていると、
ちんどんやさんについてどこまでも歩いて行くうちに、知らないとこまで来てしまい、とぼとぼ帰りました。

ちんどんやに憧れた幼少期でした。

 コンピューターも初めて出た時から、
ずっと見てきました。

ポケットベルが驚くべき情報機器でしたね。

携帯電話だって、肩から提げて、
あっという間に電池は終わってしまうし重いし・・・

そのうち弁当箱みたいな携帯電話ができたと思ったら、いつの間にかいまやスマートフォンを誰もが持っています。

 どんなに時代が変わって、モノが変わっても、
だけど
決して変わらないものがあるのでしょう。

その
「本当のこと」を見つける旅を、人生と呼ぶのかも知れません。

チンドン屋のように、セスナがばらまくビラのように、
縁ある方に、想いよ届けと祈りながら、今日もこうしてブログを書きます。

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