赤塚高仁ブログ

糸川英夫博士とともに

2019.12.10

 舩井勝仁

 赤塚高仁

 片山エリコ

「月刊 ザ・フナイ」
主幹と執筆陣による講演会と銘打って、
熱海・舩井幸雄記念館
札幌、東京、大阪、鹿児島、宮崎で開催されてきました。

 片山エリコさん率いる、
「サクラF奉仕団」は、1万人の会員を擁する巨大なグループです。

 以前のブログから引用します。
(引用ここから)
「弱点は才能でした。
2019.03.22
「春分の日」と戦後名前を変えられてしまった、
「春季皇霊祭」という大切な皇室の行事が執り行われた3月21日、
大阪での講演をさせていただきました。

 サクラF奉仕団という片山エリコさんを代表とした
全国に1万人の会員を擁する会でした。
これまで、熱海、東京、宮崎と講演させていただき、
サクラF奉仕団での講演会、
今年は、熱海、イスラエル、札幌講演が予定されています。

舩井勝仁・赤塚高仁・片山エリコ
3人のコラボ講演会ですが、
毎回毎回やまとこころが渦巻く素晴らしい場ができます。
昨日は2回講演でした。
第2部の途中から空気が変わり、
明らかに次元が変わりました。
信じられない人は信じないでくださいね。
会場に光の玉が満ち溢れたのです。
中川大佐はじめ、
上島先生、ペリリュー島の英霊の皆さんが、
やってこられました。

サクラF奉仕団は、
毎月皇居勤労奉仕に出られ、
民間人で一番陛下とお話しされているのが、
片山エリコさんです。

片山エリコさんのメッセージは、
月刊ザ・フナイで読むことができます。
素敵なご縁に、
心いっぱい感謝です。
エリコさん、幹部の皆さんとの懇親会を終え、
最終の近鉄電車で津に帰り、
一泊して今日からまた
「人生が変わる聖書漫談師」の活動。

 それにしても、
あちこち動いて仕事に身が入らない。
いつもおしゃべりする。
見てきたように話す・・・
人と同じように生きられない私が、
自分を認め、
自分を愛し、
そのままの自分で役に立とうと、
思いを変えただけで人生は変わりました。

子どもの頃から、
「みんなと一緒にしなさいー!」

「人と違うのは恥ずかしいこと!」

「あんたは〇〇ちゃんのように
どうしてできないの?!」

と、叱られ続けてきたので、
人と違うことは「欠点」だと思わされてきました。
だから、
「できない」ことを恥だと思っていました。

大学に入って、
東京に出て、
どうしてもやりたかったのが、
ギターを弾いてモテることでした。
ところが、
ギターを弾いたことがありません。
楽譜も読めないし、
音楽の才能など、何一つ持ち合わせていないことに気づきました。
それでもバンドがやりたかった。

ビートルズが好きなのに歌も歌えない。
ギターも弾けない。
ましてや、
作曲なんて出来るはずがない。
それなのに、
ステージでギター弾いて歌ってモテたい、
という大それた願いを抱いたのです。
そこで、
私がとった方法か、
「人の褌で相撲を取る」つまり、
周りの人のチカラを借りることでした。

ギターのすごく上手いやつ、
ドラム、ベース、キーボードと、
「僕が何がやりたいのか」を語って集め、
バンドを組みました。

ギターも弾けない、
楽譜も読めない、
全ての欠点が逆転して、
「できる人」を集めるチカラとなりました。
だから、
自分のできない、足らないところに敏感になった分、
人のすごいところを見出す才能が発達しました。

高校のとき、
理数系の才能がないため、
建築科に進学できませんでした。
建設会社の社長として、
欠点だと思いましたが、
図らずも、
バンドを組んだ時のように、
様々な職人さんのチカラを借りることで、
30年もの間、家を建て続けてきました。

一見自分のダメなところ、
足りないところは、才能に大化けします。

経営者として30年この世を生きて、
育ててもらえました。
人との違いは、欠点ではなく、
あるべき自分を生きるためのパスポートだと思うのです。

まず、
自分を認め愛しましょう。
そして、
自分を愛するように、
人を愛すればいい。」
(引用ここまで)

 我が師、糸川英夫博士は、

「ひとりの天才よりも、
 100人の凡人で天才以上の能力を」
と、
言い続けた天才でした。

 糸川先生の年次発表は、
全国から多くの人を集めて、
秋に明治記念館で開催されました。

私も、仲間を集めて新幹線で東京へと走りました。

日本への提言をやり続けた糸川先生でしたが、
1999年2月21日天に帰ってゆかれました。

 明治記念館の舞台に立ったとき、
すぐそばで糸川先生が笑ってました。
ニコニコと

「糸川先生、ここに立たせていただけるようになりました。 精一杯伝えさせていただきます」

 なんだか鼻の奥の方が、ツンと熱くなって、
声がつまってしまいました。

 感無量

こういう感覚のことを言うのでしょうね。

 「弱点は才能でした」と、今なら言えます。
私は、私がだいすきです。
この私を愛するように、隣人を愛します。

 
 

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