赤塚高仁ブログ

苦しみとは、私について考えること

2019.04.06

 イスラエルツアーを終え、
仲間とテルアビブで別れて、
來夢先生とエジプトに向かいます。

テルアビブで來夢先生との対談CDの収録しました。
とても深い内容のものとなりました。
発売が楽しみです。
さて、
若い頃の私は、苦しみから解放されたい、と真剣に求めていましたから、あらゆる宗教に救いを求め、出かけてゆきました。

どの宗教の人も熱心に丁寧に教えてくれました。
お参りにもいきました。
でも、少しも心が晴れません。

 この世は、苦であると仏陀が見抜きました。
 歳をとって、病気になって、死んでゆく・・・そんな世の中に生まれてきたのも苦しみ。
 会いたい人に会えないのも苦しみ
 会いたくない人に会っているのも苦しみ、
 欲しいものが手に入らないのも苦しみ、
 そして、本能が盛んで思い通りにならないのも苦しみ。それが四苦八苦

 私は、悟りたいと思っていました。

悟ったら、平安な心になり、
安心して暮らせ、苦しみから解放されると思いましたから。
でも、それらはみんな自分のことで、全部エゴです。

「悟るとは、自分のことを言わなくなること」だと気づきました。
四苦八苦から解放されている瞬間は、
「自分が勘定に入っていない時、つまり、人のために生きているとき」であることもわかりました。

苦しみの原因は「私」です。
実体のない「私という錯覚」が苦しみを生みます。
苦しみというものも、「私が感じている」ことであり、存在していない幻想です。
しかし、
私について考える時、苦しみは湧きあがってきます。
そこから解放されたいという願いも、「私について」のことです。

 仏陀は8つの正しい実践活動を行っている時、苦しみから解放されると発見しました。
すべては関わり方で出現しますから。
その、関わり方のことを「縁」と呼びます。

 悟るとは、自分のことを言わなくなるということです。
悟ると、ネガティブな言葉がでなくなるということです。
悟った人は、特別な宗教のように教祖になるのではなく、当たり前のように現場にいるということです。
そして、普通の人たちに混じってこの世を生きている。
ただ、ひとつ違う点は、
悟った人は、朱に交わっても赤くならないのです。

 本当の自分を生きるということは、素敵なことですね。
私たちは、自分を生きるために生まれてきました。

 目覚めることのない朝が必ずやってきます。

毎晩眠ることができるのは、明日の朝目が覚めると信じているからです。
でも、
目覚めることのない朝が必ずやってきます。

 思いのほか人生は短い。

 今日一日、利他の心で自分を忘れて誰かのために命を燃やして参りましょう。
本当の自分を生きるとは、
命を誰かのために使うことでもあると思えます。

 今朝も目が覚めてよかった。
神様 ありがとうございます。

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