赤塚高仁ブログ

静養するということ

2019.11.28

「高仁さん、折り入ってお願いがあります。」

 日ごろからお世話になっているNさんからメッセンジャーで連絡がありました。

「え、いったいどうしたの?」

「予定に、予定を入れない日を入れてください。
 あなたには休む日が必要です」

・・・・

そんなやり取りがあったのは、10月でしたが、
隙間なく予定が入っていたので、ひと月以上先の
11月27日に赤で
 「何も予定を入れない日・静養」
と、書き入れました。

 と、いうわけで昨日11月27日は終日家に引きこもり、
水素風呂にゆっくり入って、読書をして過ごしました。

 確かに予定を入れることが趣味のように、
来年の後半まで土日はすべて講演会で、日本のどこかで話しています。
イスラエルツアーも4回、視察のための旅も入れると5回イスラエルに行き、
パラオに2回、ハワイ島~真珠湾ツアーも予定しています。

 忙しくしていたいわけではないのですが、動き続けていることが

「生きる」

ことのように思っていた節もあります。
立ち止まって静養したから見えたことでもあります。

 飛行機や列車の切符もスマホで予約でき、
ホテルも電話せずにスマホひとつで予約できてしまいます。
本も欲しいものをクリックすると、二日後には届いています。

便利です。

 でも、便利なものはどんなものでも、
便利であればあるほど心を損ねます。
日々忙しく、さまざまな便利なものによって追い回され、
こころをつかうゆとりさえ失ってゆくのです。

 
 私は、伊勢湾のすぐそば500メートルほどのところに育ち、
今も住んでいます。
日が昇る前に海岸線を歩くのが好きでした。
薄明りの砂浜をはだしで歩き、地面にアースして地球とエネルギーを交換するとき、

「生きている」

いのちを感じるのです。
貝殻も流木も、一つとして昨日と同じものはありません。
万物流転を体感するのも朝の散歩の醍醐味です。
歩くから見える世界でもあります。

 毎日ブログもスマホで書いていますが、どこでも書けて便利至極です。
でも、
便利なものは道具にしかすぎないのに、人の心や、人の在り方までも左右してしまいます。
道具に振り回されてはなりません。

 たった一日の「静養」でしたが、
「生きる」ことを考えるひとときとなりました。

 急がないで生きようと思います。
急いではなりません。

 種が芽吹き、育ち花咲き、実を結ぶまで、生きている時間が必要です。
人の心も生きているのですから、機械的な時間によって急がされてはなりません。
支配されてはなりません。

 Nさん、ありがとうございました。
あなたのメッセージは、天からの声だったと思えます。

 道具、時間、数字、そしてお金。
すべて便利なもので、生活に欠かせないものですが、
それらに支配されてしまえば、「生きる」ために一番大事なものを失ってしまう。
だから、
神経を患い、親子の絆さえ失われ、子が親を親が子を殺める事件がひきもきらない。

 我が国は、理屈やテクノロジーで創り上げられたものではなく、
祈りと祭りによって生まれたのです。

  心を滅ぼさないように、絶えず意識的に生きていきましょう。
  二度とない人生だから。

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