赤塚高仁 物語

13.不動産屋としての高仁

名もなき工務店の社長となった高仁は、不動産の会社をつくり、土地を仕入れて分譲地にお客を呼んだ。 いい土地があれば、建築はどうでも売れた。
そんな時代だった。
土地が財産であり、建物はどうせ25年しかもたないものだとみんな思っていた。
そんな、あきらめにも似た感情が自分にもお客の胸の内にもあるのを感じたが、そういうものだと思っていた。
だから、ハウスメーカーで学んだ2x4住宅を「良い家」と信じ売り続けていた。
そんなある時、名古屋のログハウスの会社社長にシアトルへ連れて行ってもらった。
ベルビュー、ミルクリーク、街並みの美しさに感動した。
と、同時に、所得もそんなに変わらない人たちが、アメリカでは広く美しい街に住み、どうして、豊かと言われる日本人の家は、人民服のような仮設住宅なのかと憤りも感じた。
「世界標準の暮らしを提案したい」
そんな願いが湧かされた。
それに、土地を仕入れて分譲するのは、あまりにもリスクが大きい。
借金の連続で、最終的には資金ショートによる倒産しかないと思えた。

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