赤塚高仁 物語

15.予兆

ところで、そのころこんなことがあった。
完成見学会に来てくださった、あるお客さま。
通い続けて2年余り、関係を作り、デザインもコンセプトも気に入ってもらい、設計契約をいただいた。
当時、赤塚建設はロサンゼルスのデザイナーに設計してもらっていた。
彼らは、お金を送らなければ、線1本引いてはくれない。
タダで図面を描くなんて、日本だけだろう。
日本の住宅は、どこへ行っても同じような「人民服」のようである。
タダで図面を描かせるなんて、大事な心臓手術を、知り合いにタダでやってもらうようなものではないか。
お客様にデザイン料を払っていただいてから、アメリカに発注していた。
平面立面だけで1万ドル、当時1軒100万円。
それと、ランドスケープ(景観デザイン)が5千ドルの合わせて150万円。
その時点で、ほぼ100%の受注が約束されたようなものだった。
そのお客様も、デザイン料を支払ってもらい、いよいよ見積もり段階に入ったときのことだった。
突然キャンセルを告げられた。150万円もの設計料を捨てるという・・・。
桑名まで施工に行く段取りも調え、準備していたのに。
その後ぷっつり音信が途絶えてしまっていたが、最近になってどうしてキャンセルになったかがわかった。
田口尚子さんという凄腕営業ウーマンにひっくりかえされていたのだった。
150万円のロサンゼルスのデザインが、彼女のA4のスケッチに負けたのだ。
施工は、笠井建築という会社だと言う。
しかも、そのバックについてるサワダという社長が数10分話しただけで、お客は、
デザイン料も3年間の営業による人間関係をも捨ててサワケンという岐阜の会社と契約したと聞かされた。
後日、高仁は、ロサンゼルスのデザインも、2x4工法も捨てて「神様が宿る家」オンリーの会社にするのだが、「神様が宿る家」の考案者である澤田升男氏とそのとき瞬間 接近遭遇していたとは、そのときは知る由もなかった。

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