赤塚高仁 物語

8.ゼネコン営業マン時代

さて、飛島建設に入って営業に配属された先は、4国支店。
瀬戸大橋の仕事が始まる時に4国に行った。
バブル前夜のゼネコンの世界。
新入社員がいきなり接待の世界に放り込まれた。
夜は、ほぼ毎日飲みに行く。
ゴルフクラブも持ったことのない23歳が、社命でゴルフ。
父の古い道具を送ってもらい、安いゴルフシューズを買って、ただついて歩いた初ゴルフ。「ナイスショット!」の掛け声はうまくなった。

営業とは名ばかりで、中央官庁、役所の仕事は全部談合できまる。
その談合の 2軍に新入社員が入れられたというのも、あり得ないことだろう。
社会人としての第1歩目から、ちょっと道がズレているのも高仁の運命だったのだろうか。
普通の会社員とは、少しちがっていたようだ。
選挙が始まると、出社せず選挙事務所へ行き、電話作戦の責任者。
選挙カーの運転をして田舎の村々をまわる。
国会議員、県知事選に市長選、県議会、市議会、あらゆる選挙を手伝った。
投票日前日にスーツケースに現金山ほど詰め込んで、参謀たちが何処かに走ってゆくのも幾度となく目撃した。
それもこれも、指名や入札を有利にはこび、入札額を事前に知るためのコネ作り。
世の中とはそんなものだ、と思いつつも心の中に抵抗感があった。

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