赤塚高仁 物語

9.鬱病そして自殺未遂

知らず知らずのうちに、心も体も病んでいったのだろう。
心の中から静かな呼びかけがあったように思う。
その呼びかけは小さな声だから、この世の雑音や欲の叫びにかき消されてしまう。
そんな静かな呼びかけを聞かないふりをしているある日、耳が聴こえていないことがわかった。
大人の世界では、大事な話になると声が小さくなる。
高仁は、聞き返す。 上司は叱る。
そして、病院に行けといわれ、行って聴力がないことを知らされた。
「どうしてこんなになるまで放っておいた」
その医者の1言から、まっしぐらに鬱病に堕ちていった。
人の声を聴き取る周波数帯域が抜け落ちている、感音声の難聴だという。
聴神経が死んでいるそうで、回復の見込みはないと言われた。

そんな時だった、嫁さんに子供ができたと告げられた。
ずっと待ち望んでいたはずの報告に喜べない。
食事がとれない、食べても砂を噛むような味気なさ。
夜は眠れず、朝が来るのが怖くなる。
ついに布団から出られなくなる。
人と会うことができなくなった。
もう会社に行くこともできず、長期休暇をもらった。
しかし、もう会社をやめて三重に帰ろうと思った。
ところが、なんとなんと
会社をやめて早く帰って来いと言っていた母が、突然、
「何で帰ってくる、借金ある小さな工務店より大手のが安泰やろ。
会社が潰れたらどんな目に会うかわかってるのか?」と。
帰ってこい、帰ってこいと言い続けていた母が、帰ってくるなと電話してきた。

とうとう、起きることも出来なくなった。

追われるようにして退社し、三重に戻った。
ボロボロだった。
妻のお腹は、パンパンだった。

しかし、建築の基礎知識もない、ただのボンボンは、父の会社でも邪魔者で、鬱病は悪化をたどり、ついに28歳の夏、7月29日の夜、自殺をはかる。
マンションの3階、妻と子を実家に行かせ、壁に遺書をマジックで書いた。
洗濯の紐で首をくくるも、紐が切れてしくじり、睡眠薬を百錠ほど日本酒で流し込んで手首を切った。

気がついたのは、3日後のこと。 奇跡的に発見され、病院の集中治療室に運び込まれていた。
あと30分遅れていたら、この世にいて「神様が宿る家」と回り逢うこともこともなかっただろう。
横では母が泣いていた。
「どうしようどうしよう、妹の縁談に差し障るわ」
どこまで世間体大事やねん。
本音でないとは思うが、やはり心は傷つくものだ。
死に損なったことを悔やんだ。
担当医は中学時代の同級生だった。
それからひと月精神病棟に入れられた。
そこはおかしな人ばかりいる病院だった。
精神病棟入院患者は皆、当然のことながら、おかしい。
1日中壁に向かい合っている男や、米を1粒ずっと食べているお姉さん。
でも、どうも見舞いに来ている人もおかしいし、医者もおかしい。
病院の外を歩いている人もおかしい。
人はみんなどこかおかしい。
そう思えてきた。
もしかしたら、精神病棟の患者たちが1番純粋かも知れないと思うほど、社会生活不適合状態に陥った。

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