幸せのカテゴリー
昨日は、午後名古屋での水素事業勉強会。
夜は、11月10日のコンサートと講演会のための打ち合わせ。
たくさんの人と話しました。
そのなかのある女性と話すことになったのですが
とても辛そうにしていらっしゃいます。
「実は、私は難病で、10年間苦しんでいて、
本当に苦しくて、どうしたらよいかわからなくて、
水素を使えば楽になると思って、使ってはみたけれど、
本当によくなっているのかどうか、実際のところがわからなくて
・・・・・」
初対面の私に、延々といかに自分がくるしいのかを話し始められました。
名古屋の街の中のビルの一室のことです。
「ちょっと待ってくださいね、
私はあなたと初めて話すので、せめてお名前を聞かせてくださいね」
「ああ、私は○○子と言います」
「○○子さん、今日ここまであなたは、どうやって来たのですか?
車椅子で、どなたかが連れて来てくれたのですか?」
「え? 電車で来ましたけど・・・」
「自力でこんなところまで来られる人が、病気だから苦しいなんて言ってたら、
来たくても来られない、歩きたくても歩けない人にどれだけ失礼かわかりますか?」
○○子さん、泣き出す。
一切構わず話す私。
「ずっと病気でいたいのならそうすればいいですけど
元気で幸せになりたいのなら、いますぐ考え方を変えてくださいね。
あなたにリタライフを紹介してくれた方は、あなたが笑顔でいてほしいと願い、
そして、この勉強会に誘いました。
私は、その人のことを信頼し、大好きだからあなたと今、話しています。
人と人が出会うのは奇跡です。
でも、何もかもが当たり前になったとき、感謝がなくなり、苦しくなります。
紹介者の気持ちを大事に思い、感謝しましょうよ。
過ぎたことや、まだ来ていない未来に心を持って行かれずに、
いまここにある喜びを数えませんか。
あなたは、歩いてここまで来られました。
それだけで、すごいことです。
足りないものを数えて不満を言うのをやめて、
いまある恵みに感謝しましょう」
彼女の顔がパッと変わるのがわかりました。
それからも泣き続けておられましたが、最初の涙と違って、浄化のエネルギーを感じました。
過去を悔やみ
未来の不安に飲み込まれる
放っておくとアタマは「いま、ここ」から離れ、
どこかへ行ってしまいます。
エネルギーの場は、「いま、ここ」だけ。
そこから離れるとエネルギーはじゃじゃ漏れ。
枯れていってしまいます。
アタマの中のノイズに飲み込まれ、
「何か」になろうとしてしまいます。
子どものころに無心にトンボを追いかけた、
あの「静けさ」を忘れてしまうのです。
みんな大人に成るにつれて、
「明るい静けさ」 「何も考えない静けさ」
を失くして行きます。
どんな人と出会っても、みんな心中が決して静かでは無いのです。
もし心が静かな人と出会いますと、その人には一目を置きます。
何かを「成す」ことが可能だからです。
その人は、そこにいるからです。
そこにいる人は、エネルギーがチャージされてゆくから、
「成す」ことが可能なのです。
それは、学歴も、地位も、名誉も、栄冠もまったく関係ありません。
来月の支払いや、対人関係や、仕事のノルマや、家族への心配が、心の中を絶えず動いています。
あるいは自分の身体の不調に心が奪われてしまいます。
表面では物静かにしていましても、心中では汗をかくほど漏電しています。
物凄いエネルギーの価値ある生命力をじゃじゃ漏れさせています。
もし、この漏電を貯めることが出来ますと、その人は思い通りに自分の「思い」を実現することが可能に成ります。
なぜなら、人はそう作られているからです。
エネルギーがあるとき、創造的な生き方をせずにはいられない生物なのです。
心が騒々しく動き出せば、自分の人生の色んな物事を削り始めます。
誰もが子供の時に保持していた、自分の心の良い部分を段々と失くして行きます。
でも、疲れた大人でも、ざわつく自分の心に対して、
「いま、ここ」を意識することが、自分の真の安心と幸福へのカギなのです。
どんな求道と修行を重ねようが、たどり着く究極は自分の心が常に「いま、ここ」にあることです。
これはゴールです。
走り出す自分のマインドに対して、
「静かにしよう」 「静かにしなさい」 と言い聞かせ、
「いま、ここ」に還ることが何よりも大切です。
これが、悩むこと、考え込むこと、よりも解決・改善への道を「自然と」歩かせてくれます。
そして、「創造的」に生きることを可能にしてくれます。
○○子さん、ありがとうございます。
数十分の話でしたが、私はたくさんのことを教えられました。
私は、あなたに
「人は、幸せになるのは権利ではなく『義務』なんだよ」
と、
言いましたね。
でもそれは間違いでした。
人が生まれてきたのは、「幸せになるため」ではなく、
「人を幸せにする」ためです。
自分という存在が、誰かを幸せにする。
人は、自分で自分のことを幸せにすることはできないのでしょう。
神様は人間をそう設計されなかったようです。
人類の歴史の中で、自分で自分のことを幸せにした人は一人もいないでしょう。
なぜなら、
人を幸せにしたときに、感じる気持ちのことを
「幸せ」というのですから。
手のひらは、もらうためより
あげるため ですね。