赤塚高仁ブログ

あかるく生きる

2017.03.18

 やまとのことばには、音霊があります。
「あ」ということばは、すべての始まりの音。
宇宙創造の音、生まれる音。
だから、神社の狛犬は、「あ」と「ん」の口をしています」
仁王門もあうんです。

 「あ」といってうまれ

 「ん」と息をひきとる。

 「か」は火であり、輝きです。

「あか」というのは、その二つが合わさり、
命の輝きが発露しているさまですね。
この神様のような、「あい」のかたまりが「あかちゃん」です。

 4月2日に出版される(予定の)
「ヤマト人への福音」にも書いています。
教育勅語の12の徳目のお話のところです。

「・・・ところで、私たちはいったいどんな存在なのでしょうか。

一人ひとりがまさに奇跡の存在です。
一回の性行為で、お父さんから精子が一億匹発射されます。
数え切れない「まぐわい」の中の一回、
しかも、その私は長い間、一億の精子の一等賞が自分になったと思っていました。
だから、すごい競争に勝ち抜いてきたのが私なのだと思っていたのです。
ところが、
広島のフジハラレディースクリニックで、竹田恒泰さんに教えていただいたのですが、私の考えは間違っていました。

一番最初に到達した精子は卵子にぶつかると、その固い壁にぶつかって死ぬのだそうです。
卵子にとっては異物ですから。
異物としてはねつけられて、全くびくともしないのです。
まるで天岩戸のように。
そこに特攻機のようにぶつかっては死に、ぶつかっては死ぬ精子の屍の山。
 百番、千番、何万何十万と次から次へぶつかっては討ち死してゆきます。

すると、周りがだんだんだんだん、死んだ精子の影響で環境が変わってくるのです。
そのうちに、なんとなく卵子の方も、これはただの異物ではないのかもしれないなぁと、天岩戸がふっと開く。
その瞬間、タリラリラーンと来たのが入るのです。
私たちはその「タリラリラーン」の変化体です。

分かるでしょうか。
勝ち抜いたトップではないのです。
選りすぐられた超エリートでもありません。
我々はその一億の中で、最もツイてる精子と卵子が合体して細胞分裂が始まり、奇跡に奇跡が積み重なって、ここに生まれて来ているのです。

だからまず自分を今、許し、肯定しましょう。
こんなに凄い、こんな奇跡の、ツイてる精子が、今の自分なのですから。

お父さん、お母さんはその自分を送り出してくれた命の恩人であり、もっとも直近のご先祖様です。
人間は、生まれてから、放っておかれたらすぐ死んでしまいます。
馬も象も生まれ落ちて、5分も経ったら立っています。
人間は、1年歩けません。今ここに生きてるということは、その1年間面倒見てもらった証です。
人間は食べ物を恵んでもらえなかったら、死ぬ存在です。
では、赤ちゃんは何もできないのでしょうか。
いいえ決してそうではありません。
我々はそのとき愛のかたまりそのものであり、ただひたすら命を発露して、両親を喜ばせました。
私たちの子どももそうです。
皆そうやって、愛そのものとして光を届けているのです。
お母さんは、赤ちゃんを愛することはできません。
だって赤ちゃんに愛が必要ないからです。
あかちゃんは愛ですから。

イエスキリストの幻をエルサレムでみたときに、イエスから言われました。
「私には愛は必要ない。私は愛だから」
赤ちゃんは、神様の化身といってもいいでしょうか。
「あか」というのは、やまとことばで天の輝きをあらわします。
「あ」は宇宙創造の音ともいわれ、人は「あ」と発して生まれ「ん」と息をひきとる。
「か」はかみさまのかがやき。
それが濁ると「が」になる。
それが両方我が身にあるのを映すから「かがみ」となるのです。
伊勢神宮の御神体は八咫の鏡です。
映して見える自分から「我」をとると「かがみ」が「かみ」となります。
あかちゃんとは、まさに神の光をあらわす存在だと言えましょう。」
(引用ここまで)

 さあ、今日も輝いていきましょう。
それにしても、面白そうな本ではありませんか!

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