赤塚高仁ブログ

いつも、いま、ここ、自分

2019.08.20

プラス発想だ、
ポジティブシンキングだ、

言ったところで
突然「キレる」こともある。

イライラするのは、誰かのせい
誰かのせい
誰かのせい

電信柱が高いのも
郵便ポストが赤いのも
気に入らない「あいつ」のせい

あおり運転も、
あおらせた原因があるのでしょう

盗人にも五分の理

 もちろん
原因を探してみても
何にも始まらないのですが、
無意識、無自覚で原因を探すのがアタマです
 
原因が、過去にあって
そして、その結果が今だ
と、因果の法則を刷り込まれています。
だから、
「理不尽」なことがおこると、
自動的に過去に原因を探しに行きます。

ホントは、
過去に原因なんかないのに。

ネガティブな感情に乗っ取られているのは
「いま」です。
 

つい良い人ぶって、

 「原因は自分にあるのだから
人には言わずにいよう、相手のいやなところは自分にあるのだから、
それは、自分の鏡なのだ」

と言い聞かせ、ため込んだりする。

そして、ついになにかがきっかけでキレる!

ひどい言い方をしてしまうときは、
必ず、それを言ってはいけないと、
ため込んで来たときやね。

自分が悪いから・・・とか、
相手が偉い人で、自分はこんなことを
絶対言える立場じゃない・・・
これを言ったら相手は傷つくから
絶対に言うまい・・・
相手に自分で気づいてほしい、
だから自分からは言わないことに徹しよう・・・

私たちは、よくこうして
自分で自分に「禁句」をつくっているようです。

その時点では、言わずに我慢できると信じているのですが、人間そんなに強くない。

禁句にせねばならないようなことほど、
真実であり、切実であり。
言いたくなるのは、人のサガです。

抑えても、むくむくと湧きあがる。

結果、
ささいなことでも飲み込むのは骨が折れ。
「言わずに我慢しよう」とすればするほど、
どんどんたまってツラくなる。

たまらず言ってしまったときには、
相手の気持ちも言い方も何も
考えないカタチで出てしまう。
 
いったん堰を切ると、もはや手がつけられなくなる。

 怒っているのではないのです。

怒っている自分を、見ている自分が吐き出しているのです。

私は、何人もの社員さんを
ある日突然ブチ切れて
辞めさせてしまいました。

いい人のふりをしていたのではなく、
怖かったのだと思います。
相手に嫌われるんじゃないかって。

言いたいことも言えず、
何かのきっかけで爆発してしまうから、
相手との関係も崩壊してしまう。
 
 自分を愛するように、隣人を愛しなさい、
とイエスは言いました。

 自分を愛すること、
それは、
いつも、いま、ここ、にいること。
そして、
溜め込まないで、
正直に自分を出す。

嫌われたらしょうがない。
好きな人 半分
嫌いな人 半分

歩いていこう、バランスとりながら

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