赤塚高仁ブログ

さぬき オン マイ マインド

2017.02.05

高松駅でうどん食べて、伊予西条に向かってます。

連絡船うどんというお店ができていました。
  私が初めて高松に着いたのは、23歳の春でした。
東京は九段の飛島建設・本社での研修を終えて新幹線で岡山へ。
宇野線に乗り換え、宇野から宇高連絡船。
約一時間の瀬戸内海の旅。
暮れなずむ海の景色を眺めて、ほんの少し心細くなったあの日を思い出します。
当時の四国は、高速道路もありませんでした。
JRも全部汽車で、電車は走ってませんでした。
住んでた県営住宅の近くにあった高松空港には、プロペラ機しか降りられませんでした。
5年間の四国支店勤務。
ゼネコン営業マンとして、四国四県走り回りました。
やがて
瀬戸大橋が出来、高速道路が出来、電車も走るようになりました。
その間 何度乗ったことでしょうか、宇高連絡船。
デッキにある立ち食いうどんが好きでした。
お腹いっぱいでもうどんは入りました。
潮風に吹かれながら、瀬戸内海の島々を見て食べるうどんは格別でした。
 久しぶりに心友と共に高松を訪ねました。
水素事業の普及活動です。
 23歳から28歳まで通った割烹でしたたかに飲みました。
大将も歳をとったけど、私も歳をとりましたね。
いまもまだ美味しい料理を作ってくれています。
2017年2月4日朝 搾りたての司牡丹を出してくれました。
年に一度、二本しか手に入らないそのお酒、全部飲みました。
大笑いしながら、
ちょっと泣きそうな、
そんな至福のひとときをつまみに。
  幸せな気持ち、
何にも言わなくても分かり合える友がある。
人生の宝です。
   お約束の二日酔いです。
高松駅にはもう連絡船はありませんが、
連絡船のデッキを再現した「連絡船うどん」で
あの頃一番ご馳走だった「かき揚げうどん」朝ごはんに食べました。
ホームで食べてるのに、
何だか島影の緑が揺れているような気がして、胸の奥の方がキュんとなりました。
「特急・しおかぜ」は今は電車です。
窓も開けられません。
流れて行く景色を眺め、四国で暮らした5年間を想います。
35年、あっという間でした。
今から35年後はもうこの世に生きてはいないでしょう。
愛しい毎日を抱きしめながら過ごしていきます。
素敵な仲間と一緒に。
   さあ、列車は香川から愛媛に入りました。
石鎚山のふもとで水素事業にかける思いを語ってきます。
PAGE TOP