赤塚高仁ブログ

イエスの講義

2018.07.26

こころの貧しい人たちは幸いである、天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは幸いである、彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは幸いである、彼らは地を受け継ぐであろう。

義に飢え渇いている人たちは幸いである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

憐み深い人たちは幸いである、彼らはあわれみを受けるであろう。

心の清い人たちは幸いである、彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害されてきた人たちは幸いである、天国は彼らのものである。

 ・・・こんな風に、講義は始まりましたが
1万人近い人がガリラヤ湖半にやってきて、イエスの話を聴こうとしています。
音響装置もない時代にどうやって声を届けたのでしょう。

 ガリラヤ湖はすり鉢の底にあるような地形で、まわりが小高くなっています。
この講義をされたときに、イエスは上から語ったのでしょうね。
人々は、イエスを見上げるようにして座ったのです。
そこでは、山頂から湖面に向かって風が吹きます。
その風に乗せて、イエスは腹から言葉をほとばしり出しました。
だから、
優しい声で言ったのではありません。
1万人に届く、はらわたから絞り出す魂の叫びです。
・・・・

 あなたがたは、地の塩である。
もし塩の効き目がなくなったら、何によってその味が取り戻されようか。
もはや、何の役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけである。

 あなたがたは、世の光である。
山の上にある町は隠れることができない。
また、灯りをつけてそれを升の下に置くものはいない。
むしろ燭台の上に置いて、家の中のすべてのものを照らさせるのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよい行いを見て、
天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、私はあなたがたに言う。
悪人に手向かうな。
もし、誰かがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい。
あなたを訴えて、下着を取ろうとするものには、上着をも与えなさい。
もし、誰かがあなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイルいきなさい。
求める者には与え、借りようとする者を断るな。

 「隣人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、私はあなたがたに言う。
敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。

天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らしてくださるからである。
あなたがたが自分を愛するものを愛したからとて、なんの報いがあろうか。
そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、何のすぐれたことをしているだろうか。
そのようなことは異邦人でもしているではないか。

 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものとなりなさい。

・・・新約聖書「マタイによる福音書」5章から始まるイエスの講義は、
2000年経った今でも新しい。
私は、この場所に立つたびに魂が思い出すのです。
この場所でイエスの講義を聴いたあの日のことを。

 これは道徳ではありません。
宗教でもありません。
真理であり、道です。

 この講義は、イエスは一切原稿など用意していません。
ただその場、その時に降って来る言葉に命をのせて吐き出したのです。
約1時間・・・魂の叫び・・・

 テープレコーダーもボイスレコーダーもありません。
筆記用具もありません。
にもかかわらず、これほど正確に講義録が残されたということは、
聞いたものたちの魂に強烈に刻まれたということです。

 分厚くて、近寄りがたい聖書ですが、
このイエスの講義を読むだけで、神様からのメッセージが受け取れます。

「誰かがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい。
あなたを訴えて、下着を取ろうとするものには、上着をも与えなさい。
もし、誰かがあなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイルいきなさい。
求める者には与え、借りようとする者を断るな。」

 頼まれごとがあったら、
頼んだ人が驚くくらい、頼まれた以上のことをやればいい。
幸せになりたければ・・・

 自分の給料がこれくらいだからと、
給料に見合った働きをしたら、その給料に相応しい人間になってしまう。
だから、
報酬など考えず、自分の枠を超えてできる精一杯をやればいい。
幸せになりたければ・・・

 宇宙の法則シンプルです。
自分の出したものが、自分に還る。
そして、
命は、自分のために使うのでなく、
誰かのために使うもの。
幸せになりければ・・・

  「利他」

イエスの山頂の垂訓は、不変の真理です。
声に出して読んでみてください。
そこにイエスがやってきてくれますから。

 
 

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