赤塚高仁ブログ

スペースをつくろう

2017.12.30

 捨てて捨てて捨てまくっています。
会社の焼却炉で焼いています。

 父の代からずっと残してあった帳簿も、
使用済みの貯金通帳も何十冊あったでしょうか。
ひとつひとつに
「ありがとう」と、声をかけて天にかえってもらいました。

いつの間にか溜め込んだものは、
自分のこころの象徴でしょうか。

「周りのすべては自分の鏡」

そう知っていても、
良いときは認め、
いやなときは認めたくないのが「エゴ」です。
責任を誰かのせいにして、
自分を守ろうとします。

 人の欠点はすぐに見つけられます。
それが自分のこころの影であり、闇なのですが、
外側に見えるものは、努力しないでも見えます。

「わたしが何でこんな目に合わなければならないの・・・」
「こんな目に合うのはあいつのせい」
「えーーーー!またそれ?!!」
「前にもやったけどダメだった・・・どうせやるだけムダだ・・」
「・・・答えは何?どうしたらいい?正解は何だろう・・?」

自動的にこれらの言葉が湧き上がってきます。
知らず知らずのうちにこれらの言葉に支配されます。
私はいつもそうです。

 これはとても疲れます。
エネルギーがじゃじゃ漏れになります。
風呂の栓が抜けているのに、お湯を溜めようとしているようなものです。

 それで、
考え方を変えようとしてきました。
セミナーでは、そう教えます。

「プラス思考」

「あの人は、私のためを思ってやってくれたんだ。
 必要だったんだ、本当は優しい良い人なんだ」
そうひっくり返そうとします。

あるいは、「諦め」

「どうしようもないのだから、諦めよう。
 こんなこと考えていても仕方ない、やめなければ」
考えを否定し、無視しようとします。

でも、まったく力になりません。
闇に乗っ取られた思考は、こんなものでは解決できないのです。
エネルギーはじゃじゃ漏れのままです。

 私たちの人生は思い通りにならないように設計されています。
なぜなら、逆境のときにしか生物は成長しないからです。
思いもよらない出来事に遭遇します。

それを「神も仏もない」ととるのも自由。
「神様の恵み」ととるもの自由。
そうです、人生は自由です。
誰とも違うのです。
だから、人生を相談することは無意味なことです。
一人ひとり課題が違うからです。

 影や闇と戦ってはなりません。
その場に踏み止まり、自分の影・闇のパターンを「観る」ことです。

自分の陥りやすいパターン、得意なパターン、
いつも自分はどんな風に影に乗っ取られたまま行動する傾向があるのか。
これを見据えるのです。
自己嫌悪や、落ち込みも傾向です。
人を責めるのも傾向です。

 これが「性格」ではないと知ったとき、私は解放されました。
自分を責めることで、ずっと闇を見ることから逃げていましたから。

落ち込んだり、悩んだり、責め裁いたりするのではなく、
いつでもそうしてしまう自分を「観察」するのです。

 私たちの苦しみやストレスのほとんどが心の影、闇のなせる技と言ってもよいでしょうか。
闇に自分を乗っ取らせたままでいる限り、精神的に成長できないし、
人間関係も経済的にも成功することはあり得ないのです。
創造的なエネルギーがじゃじゃ漏れになってしまうからです。

 ただ「ある」ことを苦しみにしてしまうのは、自分自身です。
そのとき暗躍しているのが心の影です。
影を見据えるとき、
観察するとき、
そこに自分自身の光が発見されます。

 光は、ポジティブシンキング、プラス思考からは生まれてきません。

反省からも、闇の否定からも生まれてきません。

泥の中の蓮の根っこに気づくとき、光の中に咲く花が生まれます。

 ながながと書きましたが、
「周りのすべてが自分の鏡」だということでした。
一気に一筆書きで書いてしまいましたから、文脈がおかしいかもしれませんし、
文法が合ってないかもしれません。

ただ、感じたエネルギーは流れたように思いますから、
伝われば良いと願います。

 さて、掃除に戻りましょう。
捨てて捨てて、スペースを作るのです。
心にスペースをつくるのです。
そこにエネルギーが生まれます。

 人はいつも見ているものに似てくるという法則もあります。
だから、いつもいる場所をきれいにするのは大事なことなのです。

 今年も暮れます。

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