赤塚高仁ブログ

不二夫さん

2019.10.18

 大好きな不二夫さん

赤塚不二夫さん
そして、
島村不二夫さん

4年前
パシフィコ横浜で舩井フォーラムに出演させていただきました。

80分の時間をいただいての「やまとこころのキャンドルサービスです。。
大ホールいっぱいにお客様が入ると、
流石に足がすくみそうになります。

私の紹介があり、
拍手の中スポットライトを身に受けて、
3000人の前に進んで行きました。
会場を見渡して、
数千の瞳の中で、
私は、島村不二夫さんの面影を探していました。

島村不二夫さんは、
奥さんのみどりさんと一緒にイスラエルツアーに参加かくれたのが初めての出会いです。
13年ほど前のことです。

「旅で、
生涯の友ができたら、
その旅は成功です」

我が師、糸川英夫博士の言葉通り、
島村夫妻とは、友を超えて血肉分けた兄弟以上の仲良しとなり、どこに行くのも一緒でした。

不二夫さんは、
自分のスケジュールの前に、
私の講演予定をメモに書いていて、
どこの講演も後ろの席に座っていてくれました。

一緒に会場に入って、
準備も手伝ってくれて、
講演が始まってしばらくすると、
一番後ろで、
嬉しそうにスヤスヤお休みになるのでした。

舞台から、
そんな不二夫さんを見るのが好きでした。

自分のことはさておき、
人さまのために身を削る人でした。

「オリベックスクリーム」という、
奇跡の生体エネルギーの商品を製造販売する、
「シマムラ」は和歌山の老舗企業。
不二夫さんの祖父は、
小豆島でオリーブの栽培を成功させた伝説の人物。
経営者としても、
立派な人でした。

不二夫さんはお料理も上手で、
パーティの時は、私が酔っ払っている間、
ずっと厨房にいる人でした。

「ハウディ、ハウディ!
高仁さん 何があっても大丈夫や!!」

お酒を一滴も飲まないでも上機嫌な不二夫さんの声は、
どの人の心も癒します。

シンと静まったパシフィコ横浜で
ひとしきり不二夫さんの姿を探した私は、
話し始めました。

「私の大好きな島村不二夫さんが今朝死んだと連絡がありました。
65歳でした。

人は二度死にます。
一度は、肉体が滅びるとき。
もう一度は、
すべての人から忘れ去られるときです。

だから、
私が生きている限り、不二夫さんは生きるし、
こうして聞いてくださったみなさんの中にも、
不二夫さんは生きていくのです」

3000人の前で泣きそうになりました。
でも、
笑う不二夫さんの顔がすぐそばにあって、
私も笑顔で80分話しました。

ちょうど今日が4年目

不二夫さん、
今年も来年も、
講演会もツアーもたくさんあるから、
ずっと一緒にいてね。

本も書くから、
ベストセラーになるの楽しみにしててや。

飛行機乗らなくてもイスラエルもパラオも行けるんやね。

僕、も少しこっちで
やまとこころに火をつけてまわるから、
応援してくださいね。

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