赤塚高仁ブログ

夜明けの停車場

2017.02.05

愛媛県伊予西条での水素事業の説明会を終え、

三重まで帰る列車の中です。
予讃線は、サラリーマン時代 数えきれないほど乗りました。
瀬戸内海を眺めながら、様々な思い出を心の中でひらいてみました。
大学を出て、ひとり配属された飛島建設四国支店。
学生時代飲まなかったお酒を練習した毎夜。
急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれたこと二度。
瀬戸大橋、空港、高速道路・・・
四国が姿を変えてゆくバブル前夜。
私も変えられてゆきました。
  ディーゼル車は電車に変わり、
公衆電話は携帯電話に変わりゆき、
「ダイヤルを回す」は死語のようになりました。
夜が明けて街が目覚め、通学する子供達がイエローハットをかぶって歩いています。
東の空が真っ赤です。
もうすぐ瀬戸大橋を渡り、本州へと進みます。
 あれから35年
いつの間にか時は過ぎて、
何もかもが変わったけど、
ひとりで暮らしていた四国時代の僕に言ってあげたい。
「よくがんばりました。
君はすごいよ」
   今日までの赤塚高仁の最大の功績は
「死ななかったこと」
そして、今日からの赤塚高仁の仕事は
「生きていくこと」
ありがとうございます。
   生かしていただいてありがとうございます。
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