赤塚高仁ブログ

大海の一滴

2020.04.23

家から出ないで、
ぢっとしていると思考が巡ります。

そんなときに、
つい
今までしてきた悪いことなど思い出してしまいます。

「あれをしたからこうなった。

それをしなかったからこうなってる。」

ネガティブな感情や否定的な考え方が湧き上がります。

エネルギーが落ち込んでるとき、
何もかも自分のせいだ、
あるいはあいつのせいだ、
と犠牲者に成り切ってしまうと
人に会うのも億劫になります。

挙げ句の果てに
「神さまのバチが当たった」
なんて思ってしまうのです。

でも、
もしも自分が神様だったら、
人対してどんなことをするだろうか?

バチを当てるだろうか?

私はバチというものではないと思います。

バチではなくてメッセージが来ると感じます…。

これは死んだ後であろうが、
死ぬ直前であろうが、
生きているときであろうが、
どんなときにも、それはずっと作用しつづけるであろうと感じます…。

気づかせるためのアラームのようなものでしょうか。

ならば、
気づけば終わる。

終わらないのは気づいてないから。

過去の後悔も
未来の不安もすべて幻想です。

常に今ここで「自我」がどう反応しているか、
それだけです。

溺れるほどの神さまの愛の海の中で、
私たちは今日も生かされています。

感情とは海原の表面のさざ波に過ぎません。

その海の底深く、
滔々と流れる生命潮流。

どれほど海面が波立とうと海流は流れる。

その命につながる私の命を意識するだけで、
心は強くなれます。

私は海の中のひと粒の水滴。

ひと粒であるけれど、
私は海でもあります。

 「世界のみんながつながっているのだよ」

そんな神さまの声が聞こえてくる今日の朝です。

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