赤塚高仁ブログ

川の流れのように

2017.09.18

台風はどうなったのかと思って朝テレビをつけたら、
すでに日本を縦断して東北のほうに行っていました。
台風がこんなルートを取るなんて私の子供の頃には考えられませんでしたが、
北海道まで台風が行く国になってきたようです。

すべては常に変わり続けています。
昔はこうだったと言う思い込みはなくさなければいけませんね。
いつも新しいのですから。

テレビをつけたままにしていたら、NHKで秋元康さんのインタビューが流れてきました。
秋元康さんといえばおニャン子クラブ、AKB48などアイドルの創造主として知られていますが、肩書は「作詞家」です。

秋元は17歳、1975年東京大学法学部そして大蔵省と言うエリート路線を目指す受験生でしたが、ラジオに投稿した一通の手紙が運命を変えることになったそうです。
それからラジオ番組をアルバイトで手伝って、放送作家としてデビューしていくのですが、時代の風を感じる力は誰よりも鋭く、次々と世の中に新しい旋風を撒き起こしていきました。

しかし売れっ子になって、天狗になりかけた自分を離れてみようとニューヨークに行き自分を見つめ直します。
そんなころ、美空ひばりさんと会ったそうです。

「川の流れのように」はもともとひばりさんのたのために作った歌ではなかったそうですけれども、ひばりさんはどうしてもこれを歌いたいと言ったそうです。
ひばりさんはどんな歌でも、頼まれたことを完璧にこなすスーパースターでした。
与えられた歌に「NO」を言ったことなく、
期待以上の歌唱をし、国民的な歌手として生きていました。
そのひばりさんが人生でただいちど、この歌私が歌いたいとわがままを言った歌、
それが「川の流れのように」だったのです。

この歌がひばりさんの最後のシングルとなるとは、
誰も知るよしもなかったのですが・・・
運命的な導きは、後からわかるものですね。

ひばりさんさんは秋本康さんに、
「あなたの詞はとてもいいよ」と言われたそうですけれども、秋元康さんは美空ひばりに褒められた!
それが自信となり誇りとなり、今でも職業はなんですかと聞かれると「作詞家」ですと胸を張るそうです。

秋元さんは今年60歳、還暦です。
秋元さんがこう言いました。
「60歳、還暦とても楽しみです。自分が60になり老いてゆくという事はどんな感覚なんだろうと、とてもワクワクするのです」
驚きましたね。
この好奇心こそが秋元さんの創造の源なんでしょう。

そういえば、
我が師、糸川英夫博士の好奇心を思い出すのです。
亡くなるときまで、子どもの目で世界を見つめていました。
人生に定年はありません。
人生に消しゴムもありません。

私たちはそれぞれ自分の川を下っていく船人のようなものかもしれません。
どんな川を、どんな風に下っていっても
その川の流れはいつしか同じ海に流れ込む。

私たちの人生はまるで川の流れのようです。

人の川を泳ぐことができません。
二つの川を同時に泳ぐこともできません。
自分の川を喜んで海に向かって進んでいきましょう。

いつか大きな海で1つに交わります。
その川が出会い交わりまた離れる。
そんな川の流れのような人生を楽しんでいきたいなと、
秋元さんのインタビューで思わされました。

さぁ今日はこれから広島に向かいます。
フジハラレディースクリニックで鼎談です。
舩井勝仁さんがやってきてくれます。
藤原紹生ドクターと、私と、勝仁さんで、
それぞれの日本を良くする思いをぶつけ合いたいなぁと思っています。

「月刊 ザ・フナイ」に掲載されますから楽しみにしていてください。
それでは広島に向かって行って参ります。

今日も素晴らしい日としてまいりましょう。
生きてて良かった、今日も。

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