赤塚高仁ブログ

帰ってきた聖書漫談師

2019.08.09

イスラエルから帰りました。

成田空港に夜着くので、
新幹線で三重まで戻れません。
東京泊で、帰り

ただいまーー

と、荷物を置いて
スーツに着替えて、
名古屋聖書塾に向かいます。

再び日本での活動が始まりました。
元気いっぱい駆け抜けます。

近鉄特急の中で、
このブログを書いています。

ずっとスマホの画面の中に、
アタマは入ったままです。

日本にいると、
気がつくとスマホをいじっています。

誰かからメッセンジャーやラインがきてないやろか?
フェイスブックに「いいね」は押されてるやろか。

誰かと一緒にいるときでさえ、ふとスマホに気持ちを奪われてしまいます。

状況とはお構いなくかかってくる電話。
その瞬間、意識はもっていかれてしまいます。

家で食事をするときも、
私たちは、

どれほど「ここ」に「いる」でしょうか。

多くの場合、体はそこにあったとしても、
意識はいろんな所に飛んでしまっています。

ほとんどそこにいません。


目の前の人と向き合って、いまここの時間を大切にし、そこに自分の意識の全てを注ぎたいものです。

どの瞬間もそうでありたいです。

コンビニで支払いするときも、相手の目を見て微笑み、そこにいたいと思います。

よそ事を考えながら何かをするというのは、
そこに自分がいないことでもあります。

それは過去や未来に飛んで行ってしまう「思考」も同じ。
エネルギーがじゃじゃ漏れになってしまいます。

でも、ここにいれば、エネルギーが生まれてくるはずです。
パワースポットに行ったり、
お参りにいかなくても、
未来の不安の海に行かず、
過去の後悔の穴に落ちず、
今 生きていることに気づければ、
私たちのエネルギーは立ち上がります。

「私は今、(パッパヤッパ〜〜)
生きているぅ」

と、魔法の呪文を唱えましょう。
きっと17歳の精気がみなぎるでしょう。
歩きスマホはやめて、景色を眺めてみましょうね。

昨日と違う、明日でもない、
今がここにあるから

と、スマホでこのブログを書くワタシ

今日の聖書塾は、サムエル記
ダビデ王のこと、学びます。

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