赤塚高仁ブログ

教育勅語とマスメディア

2017.08.29

 大阪の「へそ道世界サミット」
記念講演をさせていただきました。
やまとこころのキャンドルサービス、
魚に水が見えないように、日本人に日本が見えないという、
大切なメッセージを届けました。

 締めくくりは、
日本が目を覚ますためには「教育勅語」の復活が急がされていることを話し、
教育勅語を朗唱しました。

これまでいろんなところで教育勅語を朗唱してきました。
2千人以上の横浜パシフィコ大ホールでも、
小さな読書会でも、日本の各地で教育勅語を朗唱してきました。
そのときは、
明治天皇の御霊が降りてきて、その場の一人ひとりに触れてくださいますように、と
祈りを込めて朗唱してきました。

ところで、 昨日の会場で、一人ひとりのお顔を見ながら朗唱していると、
しっかりと唱和してくださっているご婦人がありました。

 会が終わり、会場を出ようとすると扉のところにそのご婦人が待っておられました。

「赤塚さん、ちょっといいでしょうか。
 どうしてもお話がしたくて・・・」

教育勅語を一緒に唱和してくださってありがとうございます、と言うと

「あ、見えていましたか・・・
 私の子供が塚本幼稚園(森友学園)にいっていまして、
 毎日親も教育勅語を朗唱してきました。
 だから、覚えました。
 信じてきました、教育勅語も。
 でも、
 いま、私は何を信じていいのかわからないのです」

 聞けば、幼稚園に通う子供さんもしっかりと躾けられ、挨拶も素晴らしく、
籠池夫妻も、尊敬できる教育者と信じていたので、小学校への進学も楽しみにしていたとのことです。
ところが、
一連の報道によって次々と暴かれる(?)夫妻の悪事(??)
学校も開校できなくなり、希望はすべて奪われてしまった。
素晴らしい学校であり、教育者だと信じていただけに、裏切られた気持ちで家族はずっと沈んでいたそうです。

 「今も教育勅語は、家に貼ってあるのですが、
  本当に信じていいのでしょうか?」
涙を流して尋ねられます。

さて、私に偉そうなことを述べる資格などありませんが、
少なくとも、
「新聞で信じていいのは日付だけ」と言っている私としては、
 
「あなたは、教育勅語をどう思いますか?」と聞きましたね。
籠池夫妻の本当のことは、私にはわかりませんから。
書きたいように書きますものね、無責任に面白おかしく貶めて。

 籠池夫妻と教育勅語は、分けてみましょう。
もちろん、赤塚と教育勅語もです。

 一冊の聖書も、読む人の数だけ解釈が生まれる・・・そういうものでしょう。
だからこそ、
聖書を書いた(書かされた人)の心に触れることが必要です。
どんな思いでその言葉が出たのか・・・

籠池夫妻を信じていたのに裏切られたという気持ちも、わからないでもありませんが、
一連の報道の本当のことはわかりません。
でも、報道は怖いですね。
その人物のイメージを作り上げてしまいますから。
コントロールしたい方向に誘導しますから。

そのご婦人は、しばらく黙っておられましたが、
やがて口を開いて、

 「赤塚さん、教育勅語 
  今日改めて心に沁みました。
  教育勅語は、本当のことと思います」

とても嬉しく思います。
読みもしないで批判する人ばかりの中で、
こんな風に試されて、それでも教育勅語に書かれていることが真実であると言ってくださる。

 神様感謝します。

 やまとこころのキャンドルサービス、
教育勅語という祈りを伝道するのは平たんな道のりではありませんが、
私にとって、喜びなのです。

  祈りを強めます。

 

 

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