赤塚高仁ブログ

知ることは愛

2018.10.30

 講演会で
「我が国は、天皇のシラス国です」
と、言い続けてきました。

 「シラス」とは、「知る」の丁寧語で
「お知りになる」という意味です。
つまり、
天皇が、国のこと、国民のこと知って祈ることによって、
日本は平安である、ということです。
知らないものは祈れません。
知ることは愛なのです。

 その反対が、「ウシハク」です。
これは、古事記の出雲の国譲りの場面に出てきます。
権力、武力
つまり
力によって支配するということなのです。
だから、
相手のことなど知るものか、という感覚です。

 私たちは、天皇がシラス国に生まれたのです。
「ジュピター」の作詞家の吉元由美ちゃんがブログでこんなふうに書いてくれました。

「雲ひとつない秋空の下、内宮の正式参拝は跪いての参拝をさせていただきました。
額をお白石につけるように二拝し、向き直ったときに仰ぎ見る御正殿の神々しいほどの清々しさ。
見る位置、立つ位置によってこんなにも心に入って来るものが違うのかと、今回の参拝で改めて思いました。

「知ることは愛である」

知ったふり、わかったふり、知らない人を上から見ること、
知っている気になっていること、わかっていると思っていること、そんな自分に気づかないこと。
その美しくない在り方の恥ずかしさを、この赤塚高仁さんの言葉から学びました。

知ること、知ろうとすることから、全てが始まるのです。

何を知るのか。

本当のことをです。
本当のこととは?
それは、本当に、本当のこと。

そこへ至る道は、まさに歩きづらい大きな石の参道のようです。
つまずきそうになったり、足をくじきそうになったり、
恐る恐る歩いたり、平らな石の上を探して歩を進めたり。
そんな過程を体験して進んだ先に、本当のこと(御正殿)があるのではないか。
こんなことを、一人の参加者が語ってくれました。

伊勢神宮を参拝するということは、自分のご利益を祈るためではないのです。
日本が日本であることを祈ること。
そして、感じる、体感することです。
(引用ここまで)」

幸せとは、わかりあえる友があること。
それに勝る財産はありません。
私は、本当に豊かです。

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