赤塚高仁ブログ

聖なる約束を果たすために

2018.04.15

 一年の時が流れました。
ユダヤの友、オニ・アミエル氏から一冊の本を手渡されてから。

校了し、印刷が始まりました。
「舩井フォーラム・ファイナル」←(クリック)
での発表に間に合いました。
勝仁さんが、どんなふうに紹介してくださるのか楽しみです。
私は、北九州で聖書塾と講演会があるので、その場に参加できませんが、
ひとりでも多くの方の手元に届きますようにと祈ります。

 いまこのときに、この本が日本で生まれることの意味がすべてわかっているわけではありません。
でも、
自分たちが願ったことではなく、
自分たちに願われていることなのだ・・・という感覚があります。

解説のための文章、少し紹介します。

「『聖なる約束』を果たすために
 赤塚 高仁

 2017年4月、私と舩井勝仁、小川雅弘の三名は二泊という強行軍でイスラエルに飛んだ。
日本とイスラエルとの友好協会設立の準備のためだったのだが、
この時、私のイスラエルツアーをサポートしてくれているアミエル社のオニ・アミエル社長と会食する機会があった。

 それはテルアビブの地中海の海岸にあるレストランだった。

アミエル社は、イスラエルでも特に優秀な旅行会社として知られており、私のツアーもアミエル社の協力によって成り立っている。
こうしてゆっくり話せるのは初めてのことだった。会社創業の経緯を尋ねると、オニ社長はこう答えた。

「我が社は、私の両親が作った。祖国イスラエルを知ってもらうために、世界の人々を迎え入れるために。私は両親を誇りに思っている」

話は弾み、ご母堂の郷里に話題が及んだ時、オニ社長の表情が変わった。少し間をおいて、彼は言った。

「私の母はポーランドからイスラエルに来た。……母は、ホロコーストの渦中にいた。
しかし、ガス室に送られることなく、生きてイスラエルに来たのだ。そして私が生まれて、会社ができた……」

このとき、その場を覆った空気を、私は忘れない。
この世のすべてが色彩も温度も失ってしまったかのような空気であった。

その気配を察したのか、オニ社長はつとめて明るい声を出して言った。
「私の母はホロコーストの体験を本にして、ポーランドとイスラエルではベストセラーになっている。
いくつかの国で翻訳され広められているのだが、日本では誰も知らないだろう。
 ちょっと待ってくれ。
今日はなぜか、その本を三冊持っているんだ。まさかあなた方三人とこんな話になるとは思わなかったのだが……、ちょうどよかった。今、車からもってくるよ」

私たちは、その本がどれほど深く重いものなのかも知らないまま、それを「願われていること」だと感じ、日本での出版の約束をしたのだった。

しかし、この本ができるまでには、一年もの時が必要だった。

この本を出すためには、アウシュヴィッツの現場に行かなければならない。
そう思いたった私は、半年ほど前、舩井勝仁とともにポーランドのアウシュヴィッツを訪ねた。

「働けば自由になる」の標語の掲げられた門をくぐって私たちは収容所の跡に入った。
その門から出たユダヤ人はいない。
 ガス室に入った二人に、襲いかかるようにしてユダヤ人の霊がしがみついてきた。

「なぜ」
「どうして」

ユダヤ人であるという、ただそれだけの理由で殺された無数の霊が、いまだ彷徨い続けているのだ。
救いの言葉もない二人は、ただ、打ちのめされるしかなかった。

 この手記は、その累々と横たわる死体の中から這い出して生き残った人々が、そのすさまじい数の霊たちを背負い、毎晩のように夢にその風景を見ながら生きた、その証なのだ。
そんな人たちの手記を、日本人に届けることなどできるのだろうかと、二人は何度も確かめ合った。

そしてその度に、これは「聖なる約束」なのだ、伝えなければならないと思わされた。

 ホロコーストとは、戦争ではない。
国を失った彼らはユダヤ人だからという理由だけで迫害され、殺され続けてきたのだ。
逃げ場もなく、追い詰められ、まるで、殺虫剤で殺される害虫のように……。

国がないということはどういうことなのか。
2000年間もの間、国を持てなかった流浪の民、ユダヤの人々は、その苦しみを語り継ぎ、民族としての誇りを忘れることなく、荒涼とした砂漠の「約束の地」についにイスラエル国を再び建国した。
いま、ユダヤの民が、私たちヤマトの人々に語りかける。

世界で最も長い2600年以上の歴史を持つ自然に恵まれた美しい国に生まれた私たち、帰る場所のある私たちは、日本という国があることの尊さをあまりにも知らなすぎるのではないか。

 いま、分離社会の終焉に向けて、私たちは新たな「和(やわ)す世界」を創造してゆかねばならない。
その先駆けとして、「和をもって尊しとなす」日本が、世界に光を放つときが来ている。

 「和す」とはすべての命の存在を認め、尊ぶこと。
人の喜びを我が喜びとするばかりではなく、苦しみ悲しみをも我がこととすることであろう。
我が国「大和」における真の愛国心とは、日本の優位性を唱え、日本のみを愛することなどではなく、「和す」心のそのものを指しているに違いない。
 いまこそ、ヤマトの人々に、国を持つことができなかったユダヤの人々の魂たちの叫びに耳を傾け、魂で受け止めてもらいたいと願う。

そして、世界平和を祈ること、志すことの真実の意味を、いま一度魂に問うてみてほしいのだ。

 これは、私の願いではなく、天から「願われている」ことである。
 すなわち、日本が世界の灯明台となるために、私たちヤマト人が果たされなければならない「聖なる約束」なのだ。」

 縁ある魂の兄弟姉妹のところに届きますように。
そして、また手から手へと伝わってゆきますように。
「聖なる約束」を果たし、神様の作りたかった世界に一歩でも近づきますように。

 

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