赤塚高仁ブログ

見える約束、見えない約束

2019.06.14

 家で一泊して力を取り戻して、また講演の旅が始まります。
今夜は、名古屋聖書塾
明日は、神谷宗弊さんの「イシキカイカク」での講演、
そして日曜には神戸聖書塾が開校します。

 来月には、60名をパラオ、ペリリュー島に
還暦の旅行、ハワイ島
そして、60名でのイスラエル
真夏の砂漠は、かなり強烈でしょうね。

 講演依頼をいただき、その約束の日時に私がそこに行って話す。
その約束を果たしながらヒガシヘニシヘ走っています。

 「信頼されること、それに応えること」

これが、赤塚建設の社訓です。
信頼を得ることは大変なことです。
その信頼を失うことは、人生をだいなしにしてしまうことでもあります。
建築でいえば、
現場監督は、工期を守る、実行予算を守るという約束を守ることです。
社長は、月末に必ず社員に給料を支払う、という約束を守ることです。

 今月だけは何とか給料を待ってもらえないだろうか、
という場面が、いままでに何度でもありましたが、
車を売ったり、保険を解約したりして30年間、
ただの一度も遅れることなく給料日には支払ってきました。

 目に見える「当たり前のことを当たり前に果たす」約束は、
人と人とをつなぐ金の鎖です。
この世を生きてゆくのに最も大切なパスポートと言えましょうか。

 その奥に「見えない約束」があります。
それを、私は「聖なる約束」と呼んでいます。

 何のために生まれて

 何をして生きて

 何を果たして帰るのか

この聖なる約束のために、私たちは生まれてきました。
一人に一つずつ大切な約束があって、役目があって、宿命や運命がある。
その約束が「縁」を生み、今日まで生かされてきました。

 自分の存在価値があるのだろうか、
 生まれてきた意味があるのだろうか・・・

悩み続けた日々がなつかしく思い出されます。
答えがわかったのではありません、
自分探しをする必要がないことに気づいただけです。
私たちだれもが存在価値があるから生まれてきたことが納得できました。
だから、
人と比べることも、人から評価されることも意味がないことがわかりました。

 答え合わせは、生きている間にしなくていい

答え合わせは、この世での試験が終わった後で

 運命やシナリオをきれいさっぱり忘れて、この世の旅路で「聖なる約束」を思い出しながら生きる、
という、ルールがあります。
だから、
あの世を怖がったり、死後の世界なんかあるものかと笑い飛ばしたり、
ときに不吉だと怒ったりするのもそのルールのためです。

 答えがすべてわかっているものは試験にもならないし、学びもないのです。

私は、35年間建設業という実業の世界に身を置いてきました。
違和感を感じながらも、社長業も30年間、経営者という立場でこの世を歩かせていただきました。
その中でも、やまとこころのキャンドルサービスとして、
見えない世界のことを伝え続けて、
出会った方々に気づきを届けられたのも立場が役に立ったのかも知れません。
それも、私の聖なる約束だったのでしょう。
 
 60歳、還暦を迎え、扉が開くようにして新しい世界が始まるのは、
約束の時まで続けてきたからなのかも知れません。
日常の暮らしがあります。
そこで喜びを見つけるうちに「氣づく」
そして学び、成長する。

 やがて「変容」の時がやってきます。
変容の時がやってきたことを知らせる鐘の音が聞こえませんか。

 それは「危機」です。
変容の前に危機が先行する・・・これが、聖なる約束です。

 ピンチこそがチャンスだといえるまでに、私も60年の時間がかかりました。
本当の瞬間はいつも、死ぬほど怖いものですから、
誰かに何かにすがりつきたい気持ちになるけれど、
生まれる時もひとり、
最後もまたひとり。
だから、
変容のときにひとりで冒険の旅に出るのは生きている証し。

 出逢ったときに、
「はじめまして」ではなく
「やっと逢えた」と感じたなら、
それは聖なる約束。

 見える約束を命がけで守り、
 見えない約束に気づいていきましょう。

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