赤塚高仁ブログ

道草の美学

2019.03.05

道草を食ってました。

小学校は三重大学付属で、
学校までバスで行くのですが、
バス停からも30分くらい歩きます。
通学班というのがあって、
同じ方向の生徒が同じバスに乗って通うのです。

 道草を食ってました。

通学路の道端の草をちぎっては食べる子どもでした。
「あかつかくん何やってんの?」
犬が草を食べるのは身体を調子良くするため、と
誰かに聞かされたので、そう答えました。

 数日後、道草を食っていると
「あかつかくん、道の草は犬がおしっこかけてたり、
 汚いから食べたらあかんって言ってあげてと、
 うちのお母さんが言ってたよ」

食べたら汚いからあかん、と言ったのが後の義母であり、
あかつかくん何してるん!と怒ったのが同じ通学班の女子で、
後の赤塚寛子さんです。

 あるときあかつかくんは、
通学路にある三重大学の弓道場で弓を射るのを見ているうちに動かなくなり、
バスの時間がある通学班は行ってしまいました。
雪の寒い日でしたから、
帰るのがあまりに遅いと探しにいった父は、弓道場のフェンスに顔をつけて立つ息子を発見。
ランドセルに3センチほどの雪が積もっていたと言います。

 大学に進んだ赤塚くんは、
音楽サークルに入り、バンドを組むかたわら、
バイトで渡辺プロダクション、総合企画などに出入りして、
山下達郎、ユーミン、竹内まりや、高中正義、RCサクセション・・・
いろんなミュージシャンのコンサートを手伝うようになります。
当時「志摩こうじ」と呼ばれ、
いまでもあの頃の知人は赤塚のことを「志摩ちゃん」と呼びます。
クイーンの武道館コンサートを手伝ったのもその頃のことで、
コンサートを舞台袖で観て、フレディが横を通ったことを自慢する、
ボヘミアンラプソディ赤塚です。

 社会人になって、
四国でゼネコンの営業マンとして走り回るのですが、
それはそれはよく遊びました。
営業といいながら車には納経帳と掛け軸、
88か所お遍路を26歳のときに回り終えました。

 人生は旅
だから、
必ず帰るところがあります。
誕生日から命日まで
そうです、
命日は新しい本当の世界に還る誕生日でもあります。
誰も変えることのできない約束です。
人類の歴史の中で、死ななかった人は一人もいません。

 定められた期間、この世の旅路を歩くのですが、
やはり誰と歩くかは何よりも大切です。
そして、
なりたくない自分になるのは
自分に対する最大の侮辱です。

 折角の人生という旅、
死ぬまでの時間が定められているのなら、
道草を食って、
道幅を広げよう
素敵な友だちと歩こう
さあ、
くたばってしまう前に旅にでよう

 5月3日からのイスラエルツアー
まだ少し参加枠があります。
一緒に道草を食いにいこう。
出会ったことのない自分に逢えるよ。

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