赤塚高仁ブログ

黙示の世界

2016.09.08

やらなければよかった・・・

何度、そう思ったか知れない「黙示録」

とうとう書き上げました。

いえ、書き上げたというのは大きな間違いであり、驕りですね。

書かせてもらったと、言わなければなりません。

 

まず、相棒の舩井勝仁さんに魂から感謝します。

彼と去年の10月にトルコに行かなければ、今回のこの無謀な冒険はあり得ませんでした。

そのトルコにいったのも、イスラエルの旅にトルコから参加してくださったタマヨさんがいたからですね。

イスラムの世界が観たいという勝仁さん。

エペソでパウロが聖書を書いた場所に立ってみたいと思い立った私。

まったく別々の動機の二人が、イスタンブールでおちあい、そのままエペソへ。

 

私は、エペソに行って、パウロがどんな想いで手紙を書いていたのか感じたかったのです。

イスラエルのユダヤの世界だけでは、聖書が広がっていった原始キリストのエネルギーがわからないからです。

私が、パウロから啓示を受けたのはシリアのダマスカスでしたから、

ユダヤの世界から離れてみると、もう一段深く聖書が入って来るのではないかと思いました。

ところが、

なんと、

エペソに行ってみると、巨大な街の遺跡があって、その郊外にキリストの信仰者たちの小さなコミュニティの跡がありました。

導かれるようにして、そこに入ってゆくと

イエスの母マリアと、イエス最愛の弟子ヨハネが最晩年に住んでいた家が残っているではありませんか。

そして、その家の裏にヨハネのお墓がありました。

驚きました。

そして、明らかに呼ばれたのだということが分かったのです。

なぜなら、勝仁さんと同時に

「黙示録を書こう」と口に出していたからです。

それがどんなに大変なことなのか、そのときにはまったく考えもしませんでした。

しかし、そのあとのトルコの短い滞在時間のなかで、「ヨハネの黙示録」に書かれている7つの教会をすべてまわり、

聖書に書かれているそれぞれの教会に届けるイエスキリストのメッセージを、その場その場で読むうちに、

どうしても我々が書かなければならないものだと、思わされてゆきました。

 

ヨハネの黙示録は、読んでもわかりません。

理解できないように書かれているからです。

知りたい、学びたい、何かを得たい・・・と、「私」がある間は決して見ることのできない世界なのです。

何度か読みました。

でも、わからないということがわかりました。

20年以上前に、麻原ショウコウ氏の黙示録講義を受けたことがあります。

最終戦争が起き、ハルマゲドンがやってくる、ソ連が日本に攻めてくる・・・残される民は、144000人・・・・

思いっきり脅かされましたし、何となく入信しようという気にもなったりしましたが、入らずにいて良かったです。

 

10月の舩井フォーラムでデビューする予定の、「勝仁高仁の黙示録」(タイトル未定)ですが、

勝仁さんの存在がなければ、私は生涯「ヨハネの黙示録」を読み解くことはできなかったでしょう。

聖書の一番最後に、一つだけ書かれている「黙示の世界」

これが、「新・新約聖書」だったのです。

創世記から始まる壮大な聖書の、最終ゴール、命の木の実に至る道。

霊界への道しるべです。

 

ヨハネとじっくり語らいました。

パトモスのヨハネとは、12弟子の一人、あのヨハネの福音書を書いた、イエス最愛の弟子ヨハネでした。

ヨハネ、ペテロ、パウロ、そしてマリアから世界宗教としてのキリスト教が広まってゆきますが、

私たちヤマト人が、あかあかとしたやまとこころでキリストの聖霊に触れるとき、霊界の黙示を受けることができるのです。

ヤマト民族は、世界中で最も黙示の世界がわかる霊的民族です。

そして、いま、私たちは目覚めなければなりません。

天界からの黙示を、リーディングするときがやってきました。

 

144000や666、ヨハネが残した数字の意味はわかりません。

もしかしたら、いつか明かされるのかも知れませんが、いまは詮索する必要がないと思えます。

黙示の世界、それに触れてもらうことで、一人ひとりが自分に願われていることを魂に聴くこと。

それが今回「続々・聖なる約束」が出される意味なのかもしれません。

 

6日に安倍昭恵さんと話してるとき、伊勢志摩サミットのことになりました。

きっと伊勢でサミットをやることを天が願っていたのよね・・・と、昭恵さんが言いました。

三重県が立候補しない、警備の問題がある・・・さまざまなこの世的な障害が立ちあがってきました。

でも、黙示されたことを確信し、祈り、進むとき現実の世界に天の願いが映し出されました。

これが、黙示の世界と現実の世界のフュージョンです。

8月8日の天皇陛下の御言葉も、黙示の世界です。

陛下の御言葉を聴くのではなく、御言葉を見なければなりません。

 

原稿を書き上げた勢いでブログを書いていますので、少し深く入り過ぎました。

編集段階で、まだまだ見えてくるものがあると思います。

ここからは、編集の山内尚子さんも一緒に潜っていただきます、黙示の世界という海に。

 

さあ、今日は京都でバンドの練習。

そうです、10月15日の舩井フォーラムでのAKDライブも実は、講演活動を遥かに超えた黙示の世界なのです。

横浜に来てください。

音を観てください!

これを「観音」といいます。

やまとこころのキャンドルサービス、間違いなくあなたの魂に火が灯ります。

 

でも、ちょっとだけ眠りますね。

もう夜明けがきます。

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