赤塚高仁ブログ

我が師の命日、13回忌です

2012.02.21

今から24年前、鬼太鼓座という和太鼓プロ集団のマネージャー、吉村信 介さんが ワシを 東京は世田谷の糸川英夫博士の御宅に連れていってくれました。

糸川博士は、大東亜戦争のとき、中島飛行機で陸軍の一式戦闘機を設計しました。「隼」と呼ばれたこの名機は、ずっと後に太陽系探査機の名前に遺伝子が受け継がれてゆきます。

戦争が終わった後、日本は飛行機を作ってはならないと連合国に命じられましたが、糸川博士は、誰も思いつかなかったペンシルロケットを生み出し宇宙への冒険に乗り出したのです。小惑星イトカワの名がついたのは、糸川博士が日本の宇宙への冒険のパイオニアだからです。

24年前のあの夜、ロケット博士の御宅では、10人くらいの人たちが糸川先生のまわりを取り囲み、テキストに聖書が使われていました。
上場企業の社長、近所のおばちゃん、学生、いろんな人がいました。
でも、どの人にもとってもよくわかるように聖書を読み解いてくださいました。「人類最古の書物である聖書は、あらゆる時代、民族を超えて伝えられてきた智慧の書です。宗教にしてはもったいないから、今日はモーゼに学ぶリーダーシップ論として読みます。」

その日からお押し掛け弟子となって、10年間、昇天の日までそばにおいていただき、多くの学びをいただきました。
今も、天から教えを降して下さっているようです。

「前例がないからやってみよう」糸川先生の口ぐせでした。

今日は、糸川先生の13回忌なのです。
信州・丸子町にある先生の終の住処で、近しい仲間が集まって偲ぶ会をするのです。

常に実践者であった糸川英夫博士の弟子として、ワシもジッセンジャーであらねば。
能書きジジイはあきまへん、真の愛国者であった糸川英夫博士のごとく行動します。

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