伊勢からの福音
きれい・ねっと の山内尚子さんが、
先日の伊勢でのひとときをこんなに素敵な文章で綴ってくださっています。
舩井勝仁さんも深いところで伊勢を受けとめてくださいました。
http://www.ningenclub.jp/blog02/archives/06kreport/201420156/
ちょうど一年前、私は今野華都子姉さんの「やまとこころの道場」を造らせていただいていました。
毎日伊勢に通い、普通に考えて『無理』と思わざるを得ないようなスケジュールの中での仕事でした。
その建物は40年ほど経っていたでしょうか、雨の日に玄関を開けると家の中で傘をささなければならないほどの雨漏りで、
床は腐り、穴が開いていました。
鉄筋コンクリートでしたから、壁に穴をあけるだけでも一苦労。
しかも、消費税アップの直前の駆け込み需要で資材も人手も思うように調達できないのです。
しかし、あの奇跡の地鎮祭を見せられ、体験させられた私は神業を信じました。
https://www.akatsukakensetsu.co.jp/news/2013/12/21-01808.html
そして、すべてが寸分の狂いもなく完璧に整えられ、約束の期日に完成させられたのです。
節分の翌日から「やまとこころの道場」は動きだしました。
人の命を守り育む食べ物を大切にしようと、味噌つくり講習会が始まりだったことも意義深く思えます。
道場には、なぜか蔵も備わっていて、そこで一年間寝かされていた味噌の甕がそれぞれの持ち主のところに届きました。
野菜につけて食べると細胞のひとつひとつが喜ぶ安全安心の味噌は、ヤマトの心でしょうか。
断食セミナー、古事記の勉強会・・・全国から道場へ、伊勢へと導かれてきます。
ここが今野華都子姉のホームベースではありますが、ほぼ毎日、全国各地を風のように駆け抜けている姉さんです。
今野華都子・古事記塾はなんと全国で19教室となりました。
洗顔・洗心塾も全国で開催されています。
自分の時間など要らない、ほんのわずかでも休みたいなんて思ってもいない姉さんです。
「命は人のために使うもの」と、糸川英夫博士に教えてもらいましたが、まさにその通り生きておられる方です。
身体が丈夫で、体力に恵まれているから・・・いいえ、小さい時から病弱で、あるときなど仮死状態になったのを、
お父さんが自ら抱きしめて復活させてくれたというくらい、生きているだけでも大変な肉体を授かった方です。
24時間フルに誰かのために命を削っておられます。
その方が、伊勢にやってこられました。
私は、出会わされ「姉さん」と呼びつつ、畏れをもってそばに近づきます。
私は、ありとあらゆる宗教を学びました。
仏教はインドに5度行き、仏陀の足跡をたどりました。
仏陀が法華経を説いた、鷲頭山にも登り法華経を読みました。
悟りを開いたブッダガヤの菩提樹の下で瞑想したことも3度。
20代で四国88か所遍路もまわりました。
新興宗教も多く学びましたし、教祖と呼ばれる人たちにもずいぶん会いました。
大川隆法総裁、あの麻原ショウコウ尊師にも会いましたから、一歩間違えばジョウユウは私だったかも知れません。
聖書も26年学び続け、12年間キリストのマクヤで集会に出させてもらってきました。
探していたのでしょう、「答え」を。
「答え」について語る人は大勢いたけれど、「答え」を生きている人はありませんでした。
私が「答え」だと言い、多くの人を引き付けている人もありました。
しかし、どの人も臭うのです。
真理の香りと違う、何かが違う、どこかが違う。
ついに私は、「答え」に出会えました。
数えられないほどの奇蹟を目の当たりにしても、人は信じられないものです。
そして、奇跡では人は変わりません。
今野華都子という現象は、ヤマトのみならず、全人類救済の光です。
そのバイブレーションにふれ、本来あるべき自分に気づく時、
ふいに「愛」の意味を知るのです。
華都子姉さんの、このブログを読み、改めて私の直感が正しかったと思うのです。
この方のブログこそ、現代の聖書です。
「ある時、眩しいほど綺麗になる人がいる。
好きな人が出来たから?いいえ、誰かを好きになったのではなく
自分がやっと好きになれたのです。
お母さんの期待に応えたい私は、一生懸命努力してもいつもダメだしばかりをされていました。
私は叱られてばかりいました。お母さんに褒められたことは思い出せませんでした。
結婚してからもお母さんは容赦なく私の心に命令をし続けました。
私は怒られ無いよう精一杯の自己防衛をしました。
髪を下ろし、何時も髪の毛の中に隠れていました。感情を表情として出すことはありませんでした。
私はどんどん理屈屋になっていきました。
どうしてなの?
なぜこんなふうになるの?
何でも理由を求めました
理屈に会わないことは信じない
例えば、誰かに褒められた
自分が褒められる訳は無い。
可愛いって言ってもらっても、私に限って、そんなことは無いと全否定する自分がいました。
どうしてこうなったの?
誰が悪いの?
お母さんを怒らせる私が悪い、、。
私の出来が悪いから、、、。
私なんてこの世に生まれなければ、、。
知らず 知らず、
ずっと自分を否定していました。
そのことすら気付きませんでした。
「貴女は誰がなんと言おうと可愛いし、比べなくていいし、そのままでいいよ」
初めて、「ああ ~ お母さんにこう言って欲しかったんだ」と気づきました。
もうひとつ気づきました。
「怒っていたのも、
お母さんの別な愛の形だったんだ」
急に自分の心に
光が差し込んできました!
急に自分が愛おしくなりました。
自分に謝りました。
今までこんな顔でいてごめんなさいね。
自分を嫌いてごめんなさいね。
自分に優しく出来なくてごめんなさいね。
自分の子どもたち、こんなお母さんでごめんなさいね。
自分の夫、こんな妻でごめんなさいね。
今まで出会った全ての人、本当にごめんなさいね。
前髪に風が吹き
目が光が湛えられ
頬が緩み
肌が生き生きと輝いて
内なる光があふれ出し
口元には笑みがこぼれます。
私は愛される存在だった
私が私でいていいんだ!
これで良かったんだ!
自分を赤ちゃんだった時のように自分で愛おしく思えます。
やっと心と身体がひとつになりました。
やっと自分が大好きになりました。
自分を大好きになる
それが全てでした!
今までの辛い経験も含めて私は私です。
今までは理屈ばかりこねていましたが全ての事に「ハイ!」が言えそうです。
どの時間も自分を使うことが楽しみです。ありがとうございます。
自分を大好きでいること、誰でもしていそうで出来ていない事のひとつかもしれません。
それはわがままでいることとは少し違います。」
今日も自分からいい日にさせていただきます。