成功哲学の終焉
サラリーマンをやめて赤塚建設を継ぐことにしたとき、ある成功哲学のプログラムに出会いました。
人生で成功するためのプログラムと聞いて、色めきたった私です。
カーネギーの「人を動かす」や、ナポレオンヒルなどをむさぼり読んでいた頃ですから、そのプログラムも思い切って買いました。
当時 20代後半の私は、毎月10万円を社長であった父から給料としてもらっていたのですが、
そのプログラムは、150万円くらいしたでしょうか、5年ローンを組んで毎月4万円近く支払いました。
自分に投資するのだ! とはいうものの経済的には厳しかったですね。
カセットテープとテキストですが、1日一回、6日間同じテープを聞き続けるのです。
テキストは、テープと同じ内容が書かれていますから、目からも入れるのです、新しい心構えを。
間をおいた反復が、新しい習慣を創る。
26年経った今でも、そのレッスンはよく覚えています。
レッスン1、豊かさとは・・・
そして、くりかえし出てくる成功の定義
「成功とは、あなたにとって価値ある目標を前もって設定し、段階を追って達成してゆくこと」
成功、すなわち巨富を築くためには次の6カ条に従わなければならない。
1. あなたが実現したいと思う願望を鮮やかに描くこと。
単にお金が欲しいというような願望設定は、まったく無意味である。
2. 望むものを得るために、あなたは何を差し出すのか。
この世界は、代償を必要としない報酬など存在しない。
3. その願望を達成する期限を設定すること。
4. 願望実現のための行動計画を立てること。
そのための準備ができていなくても、迷わずに即実践すること。
5. それらを紙に書くこと。
6. 紙に書いた目標、期日、代償、行動計画を常に見えるところに貼り、起床のとき、就寝のとき大きな声で読むこと。
願望がもうすでに達成されたかのごとく、わくわくするまでビジュアリゼーションし、自分に思い込ませるまでアファーメーションすること。
私は、毎朝夜明け前に起き出し、風呂にろうそくを立てて集中し、その30分ほどのテープをかけ、テキストをながめました。
そして、「私は素晴らしい、私はすごい、私は大金持ちだ、私は豊かさの中で満たされている」と大声で叫ぶのです。
妻は、私が怪しい新興宗教にハマったかと思い、ずいぶん心配したようです。
夢のマスターリストという紙に、やりたこと、欲しいもの、どんどん書き続けました。
最初は、10個ほどしか書けなかったのですが、215個まで書いたのは覚えています。
その中には、「イスラエルに行く」「インドに行く」「本を出版する」「サイン会を八重洲ブックセンターでやる」「オーロラを見る」「ロケットの発射を見る」などなど、
荒唐無稽とも思えるような夢が書かれています。
ところが、いまそれを見ると、ほとんど達成してしまっています。
願望を目標に変え、それを実現する手段としては間違いないのは事実です。
実際に私は、やってみました。
お金も手に入れ、会いたい人に会い、行きたいところに行きました。
そして知りました。
「自分が願ったことが実現することが、人を幸せにすることとは別のことである」ということを。
この成功プログラムを販売することで巨万の富を得た人物の家庭は崩壊していました。
後になって、その人の顧問をしていた方とご縁をいただくことになるのですが、
この世の大成功者として崇めたてまつられている人物は、実に不幸でした。
何故? その答えは実に簡単です。
どれだけの富を得るか、社会的地位を得るか、有名になるかということと、
「幸せ」とは本質的に全く無関係だからです。
これはブログなので、私の意見を自由に言っていい場所と考えて、敢えて誤解を恐れずに言うと、
欧米の成功哲学は、「あなたにとって価値ある目標」達成すること。
すなわち、「自分の願望を叶える」ことが目的なのです。
古今東西、人類史上自分のために命を使って「幸せ」になった人は、たった一人もいないでしょう。
なぜなら、神様は人間をそう創られなかったからです。
わが師、糸川英夫はこう言いました 「命は人のために使うもの」と。
成功哲学の実践が、人を幸せにすると信じていた私ですが、ようやくその信仰にも終止符が打たれました。
この話は、また続きをいつか書いてみたいですね。
命を自分のために使うと、なぜ幸せになれないかということ。
さて、今日も誰かのために生かしていただきます。
目が覚めて、息をしていて、動けます。
神様、ありがとうございます。