赤塚高仁ブログ

思いやるなら距離をとる

2015.03.25

  新しい街づくりのために、横浜からランドスケープの達人、手塚先生に来ていただきました。

どんな街を造りたいのか、どんな家が建つことによって美しい環境が生まれるのか。

しっかり話し合い、自分の中にある願いを目に見えるモノにしてゆきます。

「シャロームタウン津新町」動きだしました。

次元上昇した定期借地権による夢の創造、命燃やして走ります。

日本をいい国にする! それを、自分のいる場所、自分の受け持ちで実現することが天の願うことと思えます。

昨日、本屋さんで手に入れました!

 東大病院救急医学分野教授、天皇陛下の担当医でもある矢作直樹さんの新刊

「見守られて生きる」素晴らしいです。
読み進めながら、しみじみ新しい時代になったのだなぁと思います。
我が師、糸川英夫が東大教授だった頃は、人は死なないなんて言えるわけもなかったはずです。
だからこそ、私たちも価値観をシフトしなければならない時がきているように思えるのです。
本の中の一章をご紹介します。
「思いやるなら距離をとることを忘れずに」
 対話ではお互いの意識が近づくこともありますが、どんな状況でも近づき過ぎないことが大事です。
どんなに意見が一致しても、細かい部分までは完全に一致しません。
そこに学びが生まれ、私たちが転生する目的があります。
 私はそれを「距離をとる」と表現しています。
静かに距離をとる、
それは「愛すること」の別表現です。
距離をとる、距離を置くと聞くと、少し冷たい感じがするかもしれませんが、人間は皆、違う個性として生まれていますから当たり前のこと。
相手と物理的に離れて近づかないのではなく、どんなに氣が合っても自分とは違う個性だから一定のレベルで互いを尊重し合う、
静かに見つめる、それが距離をとる、愛するということだと私は感じます。
  では距離をとることで、関係が壊れることはないのでしょうか。
 そこで重要なのは、距離の取り方にはさまざまあるという視点です。
全部が全部、均等に距離をとるわけではありません。
この人とはわずかな距離、あの人とはずっと大きな距離、
そんな思考はそもそも私たちが自然と行っているのではないでしょうか。
それで良いのです。
人によって変わる距離感は、時間によっても変わります。
それまで大きな距離をとっていた人との間が少し近づく、わずかだった人との距離が大きくなる。
時間が経過するに従い、自分と相手との関係性が変わるたびに距離感も変わります。
 注意が必要なのは近しい人、特に身内との関係はケースバイケースで悪い状況に発展しがちです。
親子でいえば、常にベタベタするような親しい関係でよいと感じている人も多いと思いますが、
距離が近すぎると見えなくなることが多々あります。
親や子供を客観的に見ることができなくなるのです。
 同時に、親の側に支配欲が芽生えますから、子供がいい歳になっても何かと親が口出しすることで、
両者の関係が壊れます。
母親の存在が重いと感じる女性たちが各所で声をあげていますが、
それは、距離をとるという根本的な作法を怠ったことで起きる悲劇です。
これはもう、愛ではなく執着です。
 さらに身内に甘い人は、周囲がそうした事実を認識しているようなときも気がつきません。
結果として身内との信頼関係が壊れ、周囲との信頼関係も築けない。
こうなると調和することが難しくなります。
 距離をとること。
それは愛であり、愛とは「思いやり」そのものです。
思いやりは相手の要求を何でも叶えることではありません。
ときには謙虚な気持ちと共に相手のことを考え、適当な距離をとることも厭わない。
これが本当の思いやりです。
人にとっても国にとっても、距離をとることは大切です。
 相手を思いやる気持ちがあるなら、きちんと距離をとる。
おたがいの関係を良好に保つためには、これが最良の選択だと思います。」
 
 一字一句、残らず胸に染みました。
天のメッセージでしょうか。
矢作先生を通して届けられた言霊を大切にして、今日も自分からいい日にさせていただきます。
生かしていただいてありがとうございます。
 
 
 
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