赤塚高仁ブログ

ふれあいの温かさを忘れないで

2015.09.24
いつのまにか、新築のお話をさせていただくお客様の年齢が私の子供の世代となっています。
私より年下の川島なおみさんが亡くなったり、北斗あきらさんが癌の手術をされたり、
自分も歳をとるんだぁと、思わされている今日この頃でございます。
 やがて旅立たなければならないこの世の旅路、
今日一日を確かに生きたいと願わされてなりません。
なぜかしみじみそう思わされる、夜明け前です。
なんだか、世の中も変わって来たように思うのも、歳のせいでしょうか。
電車やバスの吊革や握り棒を掴めない若者が増えていると聞きました。
そういえば、公衆トイレの洗面台の蛇口はセンサー式になっていて、
手でひねらないでも水が出るようになってます。
人が触ったものが、汚いものだという認識なのでしょうか。
 
他人が握ったオニギリが食べられない症候群、というものがあるそうです。
その連中は、自分の母親が作ったオニギリまでは大丈夫だけれど、他人のオニギリはアウトなのだそうです。
多分、父親のオニギリもアウトなのでしょうね。
ところが、人が作ったオニギリが食べられない人たち、
コンビニのオニギリは平気なのですって。
機械が作ったものは、清潔だからオッケーなのだということでしょう。
私たちは、食べ物を地面に落としても
「3秒ルール」ってのがあって、すぐに食べたら大丈夫、
もちろん砂とかは払って。
でも「そんなん、死なへんで~」と笑って食べたものです。
人の手の温かさよりも、抗菌でしょうか。
抗菌、除菌、無菌・・・とにかく、どこまでも菌と戦う姿勢がいまの風潮のようです。
これまで私は5回インドに行きました。
まぁ、決まって下痢をしました。
息を吸うだけで下痢をしました。
ガンジス川に沐浴すると、あるとき人間の死体が流れてきました。
生まれて初めてみた本物の死体、うつ伏せだったけれど、ぱんぱんに膨らんでいました。
それが、自分の方に来たとき、私は逃げたのでした。
ところが、少し下流で子供の体を洗っていた若いお母さんは、その死体を手で向こうに押しやり、
その隣で、歯を磨いていた男は、何事もないように死体のわきの水をすくってうがいをしたのでした。
生きるって、何でしょうね。
除菌、殺菌といっても私たちの体内には何億もの菌が住んでいて、私たちの命を守り育んでくれているのです。
体に寄生虫も寄りつかなくなったのが「清潔」なのかどうか、ちょっとみてみなくてはならないような気がするのです。
人が作ったオニギリが食べられないというのは、もはや病気の域だと思うのはわたしだけ?
つながりやふれあい、
どんなに時代が変わっても、変わらないものがあるはずです。
それだけは譲れない、と思うのです。
 今夜のメルマガも、目に見えないけれども、とっても大切なつながりについて書かせていただきました。
お読みいただければ幸いです。
 
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