赤塚高仁ブログ

4月になりました

2016.03.31

 街のあちこちに桜が・・・

春爛漫です。
4月になりました。
今年も残すところ四分の三です。
金曜日の朝、
イエスの言葉を伝えたく、
書き記します。
わずか33歳でこの世を去った、
史上最大の有名人。
2000年経っても70億の地球人で知らない人はいない、
イスラエルに生まれたスーパースターです。
許されて
生かされているありがたさ、
あらためてしみじみかみしめます。
生かしていただいてありがとうございます。
新しい月、
心新たに歩きます。
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。 

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

 愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
 
愛はいつまでも絶えることがない。
しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。 
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。 

わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。
しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。 

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。
しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。

わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。
しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。 
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。

このうちで最も大いなるものは、愛である。」

  起きることすべてに感謝し、
喜んで一日を過ごします。
神様ありがとうございます。

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