赤塚高仁ブログ

エネルギーの立ちあがる町

2016.06.02

 平日の現場見学会は、初めてのことでしたが

「土日はいつも来れなくて、嬉しいです」と言ってくださる方も多く、

開催させていただいてよかったです。

ご来場ありがとうございました。

 

 土地を買わずに家を建てる。

「所有」から「使用」へ!

そうシフトして歩き始めたのは、1999年のことでした。

わが師、糸川英夫博士が天に帰られた年です。

心にぽっかり穴があいて、

寂しくて、

糸川先生の遺骨を持ってイスラエルの砂漠に散骨に行きました。

ふっと

「前例がないからやってみよう!」

糸川先生の声が聞こえた気がしました。

 

 「定期借地権による夢の創造」

誰もやったことがない事業だから、私がやろう。

日本を美しい街にするために、小さくてもいいから具体的にカタチにしよう。

それから、地主さんのところを回り始めたのでした。

3年間は門前払いの連続でした。

 

 自分たちの利益のためだけだったら、すぐにあきらめていたでしょうね。

「日本に世界標準の街を創りたい」という夢を信じて歩いたから、奇跡がいくつも起こりました。

素晴らしい協力者が次々とあらわれて、いくつもの街を造ることができました。

この頃のことが、「赤塚高仁物語」に書かれています。

 

「分譲住宅を作れども作れども、予算の中から土地代を引いた残りでは、世界標準の家に届かない。
ならば、土地を買わずに家を建てることができればいい。
1999年、定期借地権事業に取り組む覚悟を決めた。
その年の2月21日、糸川英夫博士昇天。
 「前例がないからやってみよう!」という博士の声に背中を押されるようにして、定期借地権一本で進んだ。
 土地の仕入れは一切やめ、背水の陣でのぞんだのだった。
だが、地主営業は、厳しかった。
 門前払いの日々であった。
 保守的な地主さんたちにとって、新しいことをやるというのは容易なことでないのであろう。
2年間、断られ続け、その間に蓄積した断り文句は120を超える。
いまでは、それが赤塚建設の宝となっている。

 赤塚高仁は、子どもの頃からケンカに勝ったことがない。
 口げんかでさえ、涙目になってしまう。
そんな人生の中で、唯一負けない方法を見つけたのだった。
それは、ケンカしないこと。
 定期借地権事業は、誰もやっていなかった。
 不動産屋は、あんなめんどうくさいこと絶対やらない。
 建築会社は、勉強しない。
すなわち、定期借地権こそ、日本の街並みを美しくさせる最終兵器であり、独自の土俵を作ることができると考えた。
そして、ひとつ、またひとつと地主さまが土地を貸してくださるようになった。
 「美しくなければ家ではない」をキャッチフレーズに、ロサンゼルスのデザイナーと提携して、家のデザインを美しいものにした。
それに、ドライウォール、24時間セントラル空調、ビルトインガレージの3点セットを世界標準の家の標準仕様とした。
「所有」から「使用」へ、という考え方に賛同してくださる方が、土地を買わずに、次々とアメリカンハウスを建ててくれるようになった。
 全国的にも定借事業で成功している事例がほとんどなかったので、北海道から沖縄まで、見学者が津まで訪れた。 」

 

 それから17年。

変わり続ける時代の中で、赤塚建設も進化してきました。

想いはブレません。

「日本をいい国にするために、いい家を造り、美しい街を創造する」

真夏の炎天下の中でもエアコンなしで過ごせる、驚くべき遮熱、断熱性能。

呼吸をし、湿気を調整する壁。

健康を促進する、生体エネルギー技術。

健康に害のある、IHヒーター(電磁調理器)などの資材は使わない。

一棟でもオーラが違います、赤塚の家は。

それが、建ち並んだ時エネルギーの柱が天に届くほどだと感じます。

そこに住む家族に、天からの恵みが降り注ぎますように。

祈りを込めて想いをカタチにしてゆきます。

    明日はその街でプチセミナーを開催します。

いま話題沸騰、「水素のヒミツ」

マスコミでは伝えない本当のこと、知ってくださいね。

PAGE TOP