赤塚高仁ブログ

すめらぎの玉のみ声のかかる嬉しさ

2016.08.08

 京都の三条、京阪の駅のそばに高山彦九郎の銅像があります。

デミチは「何か謝ってるおっさん」と言ってますが、

京都の人でも、彦九郎が誰か知らないようですね。

 

 上野国新田郡(群馬県の太田市)に生まれた、江戸時代後期の尊皇思想家です。

13歳のときに「太平記」を読み、勤皇の志に目覚めます。

18歳で遺書を残し、各地で尊皇の心を説いて回るのです。

上杉鷹山とも親交があったそうです。

京都を通るときには、三条の大橋から御所に向かって土下座をして遥拝しました。

彦九郎の志を伝え聞いた、時の光格天皇から呼ばれ、拝謁しました。

 

 天皇のみ顔を直接見ることなどできませんから、御簾をへだててのことでしたが、

「彦九郎か・・・」と声をかけられ、どのような気持ちだったことでしょう。

そのときの彦九郎の感激を歌にしたものが、銅像の横に石碑として立っています。

 

「我を我としろしめすかやすめらぎの 玉のみ声のかかるうれしさ」

 

 自分のことを天皇が知ってくださっている・・・いかばかりの喜びだったことでしょう。

彦九郎は生涯、火のように尊皇、忠孝をヤマトに伝え、46歳で自刃するまで日の本を燃やし続けました。

辞世の句です。

 

「朽ち果てて身は土となり墓なくも 心は国を守らんものを」

 

この火が吉田松陰に繋がってゆきます。

明治の維新へと脈々と流れてゆきます。

 

 私たちが、学ばなければならない歴史とは「人」です。

先人の思いです、熱です、力です。

何年に何が起きたという「記号」を覚えさせられたところで、人生に何の影響があるでしょう。

 

 昨日、私たちはすめらぎの玉のみ声を拝聴しました。

NHKという驚くべき赤い左翼の放送局は、「天皇生前退位の意向を強く表明」と必死にキャンペーンをはっているようです。

天皇の御思いがどこにあるのか、私たち国民は魂で受け取らなければなりません。

 

「天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。

しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで

天皇であり続けることに変わりはありません」

 

 陛下はそう仰いました。

イエスは、キリストを降りることはなさいません。

私は、マホちゃん先生の父であることは生涯変わりません。

天皇は、国民の父です。

 

 生前退位・・・いったいどこからこの発想がでたのでしょう。

新聞やTVを信じてはなりません。

 

 「自分で考えよ」

 

わが師、糸川英夫の最後の言葉です。

ヤマト人として目覚めるときがきました。

 

 天皇がなくなれば日本がなくなります。

 日本が終われば、世界は滅びます。

 

 皇室典範の改定によって今すぐに決めなければならないことは、ただひとつ。

戦後GHQによって潰された、旧宮家の復活です。

悠仁親王殿下が即位されるときには、皇位継承者が常に3名、

万世一系の男系としてつながってゆきますように。

 

 私は祈ります。

 

 ヤマトこそ、世界の灯明台だから。

日本が今回の文明の希望の光であることを、ヤマト人よ気づけよと、

魂の底から祈ります。

 

 

 

 

 

 

PAGE TOP