赤塚高仁ブログ

第二のふるさと

2012.08.19

  伊予西条に住む国士、近藤千恵子さんとはエドガーケイシーセンター会長、光田秀兄の紹介でお出会いいただきました。

数年前でしょうか、ジョイント講演会を企画してくださいました。

最初は、イエスキリストの話で呼ばれたのですが、二度目の講演会で日本の神話とやまとごころの話をしましたら千恵子さんの大和魂、スイッチオンになってしまったようです。

毎年伊勢に仲間を連れて、車で飛んで来てくれます。

毎年のように呼んでくださり、リピーターも増え、昨日の講演会には老若男女80名を超える参加者でした。有料にもかかわらず。

地道に続けて来た講演活動ですが、伊勢に来てくださる方も増え、祝日に日の丸を掲げてくださる方もふえ、建国の父、神武天皇のことも知っていただけ嬉しい限りでございます。

 

  一夜開けて、ホテルの窓の外には霊峰、石鎚山が見えます。

30年前と変わらぬ風景が目に飛びこんできます。懐かしい・・・

 

四国は、ワシの第二のふるさと、23歳から28歳までの5年間をこの地で過ごしました。

住んでいたのは、香川県高松市木太町ですが、中央官庁の営業担当でしたから、四国四県、それに運輸省の第三港湾が神戸、瀬戸大橋の建設局が岡山と尾道、とにかく動き回っていました。

ついでに、お遍路88箇所も全部廻っちゃいました。

 

  東京、九段にあった飛島建設に入社し、一週間本社で研修を受けた後、四国支店に配属になりました。125人の新入社員で二人だけ。

靖国神社に参り、必ず本社に帰って来るぞと誓ったものです。

新幹線で岡山にゆき宇野線に乗り換え、そして今はなき宇高連絡船で高松についたあの日のことを昨日のことのように覚えています。

期待と不安、心細さを上回る好奇心とやる気。

右も左も分からない四国で、よくぞ営業マンなんてやったもんだと23歳のワシを褒めてやりたいものです。

 

 JRは、汽車で電化されていませんでした。

みんなタバコ吸っていましたね。 勿論、高速道路もジェット機が離着陸できる空港もありませんでした。

瀬戸大橋が着工した年に四国にゆき、瀬戸大橋の開通とともに四国を離れ、生まれ故郷の三重に戻りました。

いつの間にか時は過ぎて、何もかもが変わったけど、四国に来ると忘れかけていた大事なことをフッと思い出します。

四つの空港は、立派に整備され、縦貫道も横断道も、そして三つの橋もすべて出来上がっています。

30年、ワシは髪が白くなり、メガネ無しでは新聞も読めない老眼のヤギ爺と呼ばれながら能書きを垂れてます。

できなくなってゆくことも増えてゆくのでしょう。

体力も確実に落ちています。

だけど、あの頃より今は、遥かに素晴らしい日々を生かしていただいています。

多くの出会いを通し、考え方を変えられ成長しています。

本当のふるさとである、次の世界に帰るその日まで、成長し続けてゆきたいものですね。

 

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