赤塚高仁ブログ

あきやまとしてるさん

2012.10.21

 秋山木工の秋山社長と初めて会ったのは、今から24年前の7月23日でした。

どうして覚えてるかって言うと、その日は、初めて糸川英夫博士のお宅にうかがった日だからです。

ワシの人生が、大きく変えられた記念日だから一生覚えています。

糸川博士の家で、博士が壁際に座り、まわりを取り囲むようにして12人ほどの人がいましたね。

一部上場企業の社長、中小企業の経営者、学生、近所の米屋さん・・・

テキストは、聖書。

人類最古の書物であり、永遠のベストセラーだから、人類の知恵の本なのだと博士は言われました。

旧約聖書は4000年、新約聖書2000年の時代を超え、2000以上の言語に翻訳され、今でも世界中で毎年1000万部売れているそうですから。

 そのときの勉強会の内容、「モーゼに学ぶリーダーの引き際」でした。

24年前のことを昨日のことのように思い出します。

米屋の須山さんの横に愛想のいいおっちゃんがくっついて座ってて、ワシは、そのおっちゃん、須山さんの旦那さんで米屋さんと思ったの。

それが、あきやまとしてるさんでした。

恐ろしいものですね、思いこみ。

 

 半年くらい経ってから、糸川博士から一本のテープをいただきました。

「あなた、このテープ聞いてごらんなさい。 職人をつくる素晴らしい社長さんだから」

あの頃から秋山さん、まったく変わってません。 (今のワシの年より、若かったんだわ、あの頃の秋山さん)

それで、テープ聞いてると、どうも話し方も声も、あの米屋の須山さんにそっくりなのです。

 

 その後、イスラエルの大使を招いての会合の時、それぞれが名札を付けていたのですが。

米屋のおっちゃんの名札に「秋山木工 秋山利輝」と書いてあります。

ワシは、米屋の須山さんの旦那さんだと思ってましたから、びっくりして「秋山さんって須山さんと違うんですか」

わけのわからんこと聞いて、ズッコケ。

出会って半年間、秋山さんは、須山さんという米屋のオヤジだと思い込んでおりました。

 

 今やTV番組でとりあげられ、本もベストセラーになった秋山利輝さん。

家族ぐるみ、親戚みたいなお付き合いをさせていただいております。

二人のお嬢さんの結婚式で、司会をさせていただきました。

長女のリカちゃんは、横浜のホテルで披露宴を二度行いました。

一度目は秋山木工関係者、それからリカちゃんの友人関係。

新婦の父は、何かしゃべりたくて仕方ない様子でしたが、司会者の権力で一言も話はしていただきませんでした。

ワシは、秋山さんに喋らせなかった司会者として一躍有名になったのでございます。

妹のナナちゃんは、ログハウスにて披露宴。

ワシんとこホテルでございます。 

そして、秋山としてるさんご本人の再婚の披露宴でも司会をしまして、

秋山家のグランドスラム達成でございます(笑)

 

その秋山さん、住環境想造研究会で今日は特別講演です。

そのために、住環境の会合も横浜で催されます。

丁稚も連れてきてくれますし、職人心得も披露してくれるでしょう。

 

  楽しみです!  最前列で聞かせていただきます。

 

 

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