赤塚高仁ブログ

間抜けより、ちょっとアホが素敵です

2012.11.12

  間抜けなやつ、っていうのは、いつの時代にもどこの世界にもいます。

間抜けには、生まれも育ちも学歴も地位も名誉も性別も、政治家だろうが百姓だろうが学者だろうが関係なく、

間抜けは間抜けです。

間抜けとは、「間の悪いヤツ」のことにほかなりません。

 

うちの会社にも、天然記念物級のウルトラ間抜けがおります。

これは学んで身に着くものでなく、天賦の才ともいうべきものだと最近わかってきました。

間抜けは、いけませんね。まわりをイライラさせますから。

ちょっとアホになって、まわりをゆるめるのが素敵です。

 

 ところで、間抜けの「間」ってなんなんでしょうね。

きっと、結論は出ないことでしょう、見えないものですから。

でも、人と人との関係において、最も大切なものがこの「間」というものではないでしょうか。

人と人との間こそが、大事だからこそ「人間」という存在になったのだとも思えます。

 

 人の一生そのものが、生まれたときと死ぬまでの「間」そのものなのでしょうね。

人は、理由がなければ動けないのかも知れません。

でも、本当に肝心な理由は絶対にわからないのです。

それは、「人はどうして生まれてくるのでしょうか。 どうせ死んでしまうのに」という理由です。

どうして生まれてきたのか、わかるような魂は、この世で修業する必要がないのでしょうね。

だから、どうして生まれたか、なんていくら考えても答えが出るわけじゃありません。

にもかかわらず、書店に行くと「あなたが生まれてきた理由」というような本が、ずらりとならび、

ずうーーーと自分探しをしてる人たちがいる。

どうしてそんなことがわかるかというと、ワシがまさにそんな人だったからです。

ただ座ったままで、年老いてゆく・・・

 

  基本的に生きている意味なんて、わかりません。

人生は「間」でしょうか。

ワシらの人生は、生まれて、生きて、死ぬまでの「間」でしかありません。

生まれた点、死ぬ時の点、人生はその間のことに過ぎません。

だから、人間には「間」がどうやって生じるかなんてわからないのかも知れません。

生まれた理由なんて絶対にわからないようになってるようにも思えます。

  だからこそ、この「間」を大事にしたいものです。

誰もがみな、「間」を作らないように、隙間を埋めることばかり考えているようですが、

間が抜けると、全く間抜けなつまらない世界になってしまうのではないでしょうかね。

この方のように、利他の心を持ち、毎秒毎秒命がけで生かされることこそ「間」を生きる、

人間としての本当の姿だと思うようになってきた今日この頃のワシです。

 

 

 

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