赤塚高仁ブログ

神様が宿る町

2013.05.21

  1999年2月21日 糸川英夫博士昇天

 

その年が、ワシの「定期借地権」事業のスタートの年になったのでした。

 

「前例がないからやってみよう!」が糸川先生の生涯のテーマでしたから、誰もやったことのないこの仕事に懸けてみようと決めたのでした。

 

そのときまでも、いくつもの町を造ってきました。

土地を仕入れて、美しい街並みをつくりたいと願いましたので。

・・・ところが、土地を買った残りの予算では本当に思い通りの家は建たない・・・ことが多い。

どうしたらいいか・・・

悩みに悩みましたね

 そして出会った 「所有」から「使用」へ

土地は買わないで、使わせてもらって土地代を建物にまわすのです。

 

 誰もやったことのない、新しい価値観の創造でしたから、最初の三年間は本島隊員と門前払いの日々でした。

最初の一棟ができるも、見学会にはひとりも来場なし。

もはやダメかと思いましたが、大事なのは、このシステムでもなく、土地でもなく、本当に素晴らしい住まいだと気付かされたのもこのときでした。

圧倒的に差がある家を生み出さなければならない。

だから、ロサンゼルスのデザイナーと契約し、「美しくなければ家ではない」をコンセプトに走り出し、

定期借地住宅を津の街に生み出してきました。

 

 初めて伺ってから、土地を貸していただけるようになるまでに7年間かかった Hさまがおられます。

津の新町駅から歩ける距離にある一等地を貸してくださいました。

造成も完了して、スタンバイOKです。

しかし、そのときにワシが、上に建てる住まいを大幅に変えるときがきていました。

しかも、澤田ファミリーとの激動の日々・・・  具体的な提案も、行動もなきまま時が流れてゆきました。

 

 Hさま、澤田先生のセミナーにも来てくださいました。

神様が宿る家を本当に信頼してくださいました。

そのHさまが、会社に来られました。

ワシは、責められるか、怒られるか、打ち切られるか・・・心どきどき、胸はそわそわ

 

 「私に協力できることがあれば、させてもらいたい」

 

Hさまの言葉に耳を疑いました。

「もし、全部の区画が定期借地で無理ならば、 半分、神様が宿る借家を私が建てましょう」

 

 いい街がつくりたい、素晴らしい街を造らせていただきたい。

はらわたの底から湧き上がってきました。

世界標準の美しい街にくらそう! それがワシらの原点ですから。 

 

  「神様が宿る町」をつくりたい。

住めば住むほど元気になる、素晴らしい町を残したい!

魂の底から祈りが湧かされるのです。

 

 

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