赤塚高仁ブログ

ええ仕事せなあかん

2013.07.23

三人のレンガ職人

世界中をまわっている旅人が、ある町外れの一本道を歩いていると、  一人の男が道の脇で難しい顔をしてレンガを積んでいた。
旅人はその男のそばに立ち止まって、  
「ここでいったい何をしているのですか?」と尋ねた。
「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。    
 

  朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。 

  あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、風の強い日も、    

  日がな一日レンガ積みさ、腰は痛くなるし、手はこのとおり」

男は自らのひび割れた汚れた両手を差し出して見せた。   
「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、まったくついてない    
    もっと気楽にやっている奴らがいっぱいいるというのに・・・」
旅人は、その男に慰めの言葉を残して、歩き続けた。
 
もう少し歩くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会った。
先ほどの男のように、辛そうには見えなかった。 旅人は尋ねた。   
「ここでいったい何をしているのですか?」
「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね。」
「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。
「なんてことはないよ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。    
    ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。    
    俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べて    
    いくことに困らない。大変だなんていっていたら、バチがあたるよ。」
旅人は、男に励ましの言葉を残して、歩き続けた。 

また、もう少し歩くと、 
別の男が活き活きと楽しそうにレンガを積んでいるのに出くわした。
  「ここでいったい何をしているのですか?」
旅人は興味深く尋ねた。
   「俺達のことかい?俺たちは歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」
   「大変ですね」  
旅人はいたわりの言葉をかけた。
  「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ!」
  「素晴らしいだろう!」
旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けた。

 

 

最初の職人は、ただ毎日レンガを積んでいるだけで、それが何になるのか考えもしない毎日を送ってます。

2番目の職人は、責任感を持って仕事に取り組んでいるし家族のために一生懸命にガンバってます。

3番目の職人は、偉大な大聖堂を創るという「ビジョン」(目標)が見えていますし、「ここで多くの人が祝福を受け悲しみを払うんだ」という最終的な「目的」をちゃんと見ています。

そしてそのことに使命感を持って取り組んでいるのです。

このように「ビジョン」や「目的」が見えていると、この職人のように「やりがい」と「誇り」を持ってイキイキと仕事をすることができるのではないでしょうか?

 

また違った視点からこのお話を見直してみると、一人目の職人は嫌々仕事をしていました。 

旅人は慰めの言葉を残しました。 おそらく「辛いんでしょうね?」って感じの言葉を残し歩き続けたことでしょう。 

二人目の職人は一生懸命に仕事をしていました。 旅人は励ましの言葉を残して歩き続けた。おそらく「ガンバってね!」って感じの言葉だったことでしょう。 

三人目の職人はイキイキと楽しそうにレンガを積んでいました。そして少し会話をした後に旅人は、お礼の言葉を残して、元気いっぱい歩き続けました。おそらく旅人は「ありがとう」や「よろしくお願いします」って言葉を残したのではないでしょうか。

このように「やりがい」と「誇り」持ってイキイキと楽しそうに仕事をしていると周りの人を元気にするだけではなく感謝までされるのです。

このストーリーが伝えようとしているポイントは、将来のために「ビジョン」を持ってガンバレとか、世のため人のためになることをしなければいけませんといったことじゃなくて、自分自身が目の前にある仕事に取り組んでいるその瞬間に「やりがい」と「誇り」を持ってイキイキと楽しんでいるかが何より大切だということを伝えようとしているのだと思うのです。

 

 誰かに喜ばれたいとか、はたを楽にすることが働くことやとか、自分がどう思われるかを超越して、魂が喜んでるとき、神様も喜んでくださってますね。

澤田先生や安藤先生をみていると、本当にええ仕事をしておられるなぁって思います。

ワシだって、まんざら捨てたもんじゃない・・・はずやねんけど、

ついつい偉大な先生方と比べては、ちょっと落ち込んだりするのですが、

三番目の職人のように、誰とも比べず、神様に喜んでいただけることを自分の喜びとできる世界に入りたいと思うのであります。

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