赤塚高仁ブログ

怒るのは、怖いから

2013.12.06

 妙に苛立たしく、何かきっかけがあれば噴火しそうなマグマが腹の底にある・・・

そんな日は、注意が必要ですね。

ていねいに話していても、笑顔をつくっても、どこかでイライラのエネルギーが相手に伝わります。

互いに緊張し、どこかぎこちない会話になり、ともすると、すれ違いが生まれることにもなります。

その反対に、心にゆとりがあり、あたたかな気持ちでいるときは、

少々の荒い言葉にも反応せず、笑ってジョークのひとつでも返せることもあります。

伝わるモノ・・・それが大切ですね。

立派な一流ホテルでも、実に丁寧な受け答えをしてくれているのに、何だか嫌な気分になることってありませんか。

 

 「慇懃無礼」

 

そんな言葉の意味をしみじみ噛みしめたりするのです。

 

 ところで、怒りは、どこからくるのでしょう。

義憤といって、義のために憤りをおぼえる人もありますが、とりあえずワシのレベルで思うに、

自分の思い通りにならないという、子供の影。

自分はわかってもらえない、こんなにしているのに・・・という、犠牲者の影。

また、この二つが結託してタッグチームを組んで子供と犠牲者のダブルパワー。

つまり、自分の中の闇に乗っ取られている状態だと言ってよいでしょうか。

そのとき自分のエネルギーはじゃじゃ漏れです。

これは、自分の性格の問題でもないと思います。

どうしようもない衝動ですから。

ただ、そのとき 「あ、 いま自分の中の子供が暴れてる」 「犠牲者の影が立ちあがって来ている」と意識できるとき、次第に闇は晴れてゆくのです。

が、それを外に、人にぶつけてしまうことがあります。

その時、新しい次の問題を生み出します。

 

 相手に対して怒るのは、相手が憎いからではないのかも知れません。

自分のうちで闇が立ちあがっていることに気づくのがいやなのか、すべての問題を外側に探そうとして自分を観ないからでしょうか。

周りのすべては自分の想いの変化体であり、鏡です。

 

 怒りの正体は、「恐怖」なのかもしれません。

今日、ふっと感じたことです。

そして、その恐怖がどこから来たのかと我が内側を探ってみるとき

「依存」があることに気がつかされました。

「依存」が「恐怖」を生み

「恐怖」が「怒り」に変わってゆく。

 

 人の心は、複雑なようで、シンプルなのかもしれません。

 ただし、「知ってる」ことと「できる」ことは違いますし、

 「できない」と「やらない」も違います。

 

 こうやって心の分析をするよりも、笑ってあたたかな言葉を使う方がはるかに大事だと思います、ハイ

 

 

 

 

 

 

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