赤塚高仁ブログ

今日もくもりのち晴れ

2014.09.17

 インターネットでラジオが聴けるのですね。

「今野華都子の今日もくもりのち晴れ」

http://ameblo.jp/k-konnothalasso/entry-11925801300.html 

3週連続で私も出演させていただいています。

http://www.hidanet.ne.jp/~hitsfm/kumori-hare/mp3/kh20140910.mp3

http://www.hidanet.ne.jp/~hitsfm/kumori-hare/mp3/kh20140903.mp3

最終回を聞かせていただいて、いろんな思いがこみ上げてきます。

華都子姉さんは、「自分」というものがほとんどない方です。

自我がないというのは、とてつもなくすごいことです。

自分勝手に作り上げた「私」という錯覚が、「苦しみ」を生みます。

私たちの生かされている、3次元現象界は、すべてが関わりで出現するようです。

すべての現象には、意味などなく、そこに「自我」が関わるから意味がつく。

それが、私たちの「アタマ」の仕業。

 

 人生に意味なし、からっぽ

 

苦しみをつくったのは、本当は自分なのだから、

その「自分」をよく見つめることが大切ですね。

そとがわに解決を探すとき、永遠のスパイラルに落ちてゆき、誰かのせいにして、

怒りの中で暮らさなくてはなりません。

 

 あとどのくらい、生きられるのでしょう?

 

一切保障もない世界に生かされていることを知らなければなりません。

「俺は、神なんて信じないよ。 何も信じないよ、信じるのは自分だけ」という人がときどきいました。

でも、本当に何も信じていないのでしょうか?

夜眠るとき、明日の朝、目が覚めることを信じているから眠れるのです・・・人は。

電車のホームで、後ろの人が突き飛ばさないことを信じているからホームの最前列に立てるのです。

もっと、素直であっていいのじゃないでしょうか。

もっと、自由であっていいのじゃないでしょうか。

あの人よりも自分は背が高い、

あの人よりは上品だ、

あの人に比べればお金儲けがへただ

・・・あの人、あの人 その「差」が自分だと「アタマ」は考え始めるのです。

いいえ、「差」はどこまでいっても本当の自分にたどりつくことはありません。

差のない世界に、真のわたしはいるからです。

だから、差をとる・・・これが、さとり です。

 

 「今野華都子の今日もくもりのち晴れ」を聴いていて、そんな想いが湧かされてきました。

是非、お聴きください。

そして、全国各地で開催されている 華都子姉さんの古事記の勉強会、参加してやまとこころに灯を燈してください。

 

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