赤塚高仁ブログ

あの島まで

2014.10.16

  5月、勤労奉仕団長として皇居の清掃をさせていただきました。

4日間。
2日目に、天皇・皇后両陛下との御目文字叶い、
畏れ多くも言葉を交わすという光栄に与るとともに、
天皇陛下、皇后陛下万歳! と三唱の音頭をとらせていただきました。
天皇さまから、無言の「ありがとう」を魂にうけ、
やまとこころの火が燃やされました。
じつは、そのとき私の心のなかにペリリューのことが浮かび、
あの島に、天皇さまが行かれたら、中川大佐はじめ水戸第二連隊、英霊のみなさん、どんなに慰められることだろうかと思わされたのです。
ペリリュー島は、昭和天皇が特別に11回もの下賜を授けた「天皇の島」と呼ばれた大切なところ。
縁あって、四年前に訪れて以来、講演で、執筆で伝えてきました。
いかに日本の軍隊が誇り高く、美しく、優しく、そして強かったかを。
島の人を逃がし、補給も絶たれた中で、強大な兵力の米国太平洋艦隊を相手に、71日間戦いぬいて「サクラ サクラ」の電文を最後に散った日本の兵隊を、いまも島の人たちは神様のように讃え、弔ってくださっています。
    天皇陛下とお会いして、しばらく後、ニュースに耳を疑いました。
   『天皇・皇后両陛下パラオご訪問を希望!』
感激で、泣けてきました。
陛下が行かれるまでに、もう一度いかなければ。
  水屋神社の久保宮司は、ペリリューの慰霊、遺骨収集にも尽力され、
ペリリューの神社にさざれ石をおくった国士です。
前回、ペリリューに連れて来てもらったとき、久保宮司から、
これからは君がやってくれよ! と言われたことを思い出しました。
宮司に報告に行きました。
なんと、その数時間後に 宮司は息を引き取りました。
    さあ、パラオ本島までやってきました。
夜明けとともに、ひとり海に入り祈りました。
Wi-Fiがつながるのは、ホテルのレストランだけなので、ここでブログを書いています。
急遽結成した慰霊団13名、あと1時間で船に乗り、あの島、
そう、ペリリュー島に向かいます。
   英霊のみなさんに、陛下がお越しになることを伝えて参ります。
天からやまとの国を護り給えとお願いします。
  日本よ永遠なれ!
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