赤塚高仁 物語

5.学生時代

男は、母親の影響を強く受けるといわれる。
御多分に洩れず、赤塚高仁も世間体や見栄に気を遣う。
良い学校を出て、有名な会社に入ることを成功と教えられた。
近くに市立の小学校があったが、三重大学の附属小学校に入った。

身体も弱く、小さかったからイジメにあった。
小学校3年の時のことだった。
母親の喜ぶような友達と付き合わなければならなかった高仁は、本当に好きな友達と遊ぶときは母に隠した。
ちょっと悪いが、いい奴ら。
母は、そんな連中が嫌いで、いいとこの子供が好きだった。
医者の息子、銀行の頭取の息子、いいとこの子供と付き合わなければ母が怒るため、そのグループにいるために自分を殺した。
虫のような扱いをされても笑い、母には楽しいと話した。
夏休みのある日、医者の息子の誕生会に招待された。
喜んだのは、高仁よりも母の方だった。
誕生会のあとでカブト虫採りに行くというので、母は、デパートで最高の虫捕り網を買ってくれた。嬉しかった。
ところが、当日、約束の時間にバス停で待っても待っても誰も来ない。
2時間ほど待って、歩いて家に帰ると母に叱られた。
母は、車で医者の息子の家に高仁を送り届けた。
誕生会は終わりかけていて、御馳走もほとんど残ってなかった。
からかわれたのだとわかった。
ウソの時間を教え、赤塚高仁が途方に暮れるのを面白がっていたのだ。
メスのカブト虫1匹、食べ残しのケーキ、気の抜けたサイダーをもらった。
家に帰ったとき高仁は、とても楽しかったとウソをついた。

友達もないまま、同じメンバーで中学にエスカレーターで進学。
進学校の県立津v高校に入るも、1学期早々に落ちこぼれ。
建築科に進まなければいけないと思えども、理数系が全くできず、3年の夏休み後理系をあきらめ、文系の大学を目指す。
国語と日本史、それに美術はよくできた。
だから、それなりの進路を選べばよかったのに、長男は家を継ぐものだと思い込まされていたのであろう、洗脳とは恐ろしいものだ。
1校だけ現役合格した学校は、母がライバル視していた人の息子も合格していたため、もっといいところに行かなければダメだと言われ浪人することになった。
東京の予備校に通い、有名な学校ならどこでもよかったので明治大学政治経済学部に入学し、4年間通った。
ところが、大学時代、親から離れることで、本来の高仁の何かにスイッチが入ったのだろうか、高仁はロックンロールが好きになり、バンドを組んで舞台に上がるようになる。
生まれて初めて自己主張することの快感を覚えたのかも知れない。

仲間と言う感覚に喜びを覚えたのだろうか。
バンド名は、「伊勢の名物赤福餅はええじゃないかロックンロールショウ」とやたら長い。
実力の無さを何か別のものでごまかす才能は、この頃開花したようだ。
伊勢を意識しているのも、後々の伊勢神宮での活動を暗示しているようで興味深い。
演奏時間よりしゃべりが長いのも演奏の下手さを誤魔化す、赤塚高仁の能書きタレイズムもこの頃芽生えたようである。
芸能界にも出入りするようになり、山下達郎、ユーミン、竹内まりあ等々、コンサートの手伝いをし、学校に行くよりも業界で時間を過ごす方が多くなる。業界の友達も出来、とりわけ同じ歳の歌手、山下久美子とはデビュー当時からの付き合いで親友となり、彼女とボウイというバンドの布袋くんとの結婚式にも出席した。
ミーハーだった。
そして、それは、いまもって変わっていない。

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