赤塚高仁ブログ

あるがままということ

2017.01.01

新しい年の二日目にして、ずいぶん今年も過ぎたような気がします。

このお正月は、たまりにたまった読書をする!と思っているのですが、

実家に行ってはお屠蘇をいただいてうたた寝したりするので、全然進みません。

それでも、

「海賊と呼ばれた男」と「抱きしめられたい」を同時進行で読んでいます。

 

「抱きしめられたい」は糸井重里さんの一年間の言葉の中で選ばれたものが集められたもので、

もう10冊目です。

光田菜央子さん絶賛でしたから読みました。

糸井さんの小さなことばに、胸の奥の方がキュンとしたあとに、鼻の奥の方がツンとしてきます。

こんなふうにことばを大切に扱えるひとになりましょう、と自分に約束した元旦でした。

 

『「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せだ。
それを、苦労しようが失敗しようが始められるのは、
ものすごく恵まれたチャンスだと思う。
「やりたくない」ことや、
「やらなきゃならない」ことをやっていても
ちゃんと時間は過ぎていく。
そればかりやっていて一生が終わることだってあるだろう。

「やりたい」と思えるようなことを、
「やりたくない」ことや、
「やらなきゃならない」ことだらけの荒野のまん中に、
しぶとい雑草のように植えつけてやるんだ。

そいつが広がっていくうちに、鳥もくるだろう、
どうぶつも飼えるようになるし、
屋根のある家も建てられるかもしれない。
水を溜めたり、さらに作物を育てたりしていくうちに、
なにより素敵なことに、人だって集まってくるんだ。
笑顔やら、たのしい話やらをみやげにしてね。

しつこく言うよ、同じことを。
「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せなんだ。
それを、じぶんたちの手で始められるのは、
ものすごく恵まれたチャンスだよ。』

 

 

『 なにができるからよい、なにをしたからよい、

というようなこととなんの関係もなく、

「ただいること」がよいとされることを、

ほんとうは誰もが望んでいる。

be動詞の「be」の状態で肯定されること。

誰よりも自分自身からよしとされること。 』

 

『 このごろ、いろいろかんがえていくと、

いつも「be」にたどりついてしまう。

「be」は、いわば神様の動詞だという気がする。

 

天よ、あれ。

地よ、あれ。

森羅万象よ、すべてあれ。

あんたも、あたいも、みんなあれ。

 

「be」は、やがてそのまま育っていく。

その過程が「Life」なんだよな。 』

 

たくさんことばを発しているのに、なにも聞こえてこない人があります。

でも、なにも言わないのに、ことばが感じられる人があります。

それが「ありかた」であり、「あるがまま」が届くということかも知れません。

「doing」ではなく「being」を意識的に生きることにしましょう。

 

いよいよ時代は、わたしたちの予想をはるかに超えた速さで変わり始めています。

日本で指折りの事情通で、未来予測のプロである舩○○仁さんが、

「赤塚さん、トランプが大統領になるなんて絶対ないですよ」と断言した翌日に、

トランプさんは米国大統領に選ばれました。

そうです、

誰にもわからないのです、ここから先は。

だから、誰にも依存せず、自分で考えるのです。

ありかたを。

 

あるがままということを。

 

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