赤塚高仁ブログ

ヤマトの民とユダヤ人

2017.10.02

 29年間で18度目のイスラエルです。
さすがにこのご縁は、ただごとではないと思わされます。
初めて来た時は、
「もう2度と来ることもないだろう」と、
フリーの時間には一所懸命、お土産探しをしました。
いまではお土産屋さんは素通りします。
でも、
日本にないものを見つけると、嬉しくて手に入れます。

 かんかん照りの太陽
 吹き抜ける乾いた風
 怒っているような人々の会話
 エネルギーに満ちた食べ物
・・・ やっぱりイスラエルが好きです。

金曜の日没から土曜の日没まで、
4000年前の旧約聖書、モーセの時代から守り続けられている
「安息日」シャバット
街はひっそり静まり返ります。
また、年に一度、
放送まで停止、タクシーさえも走らない
ヨム・キプール(断食贖罪の日)

砂漠の中で生きるイスラエルの人々のたくましさ、
流浪の中を生き抜いてきたユダヤ人の底抜けの明るさ。
彼らの素直な喜怒哀楽や激しさに、
私はどっちつかず自分を少しだけうとましく思いながらも、
ユダヤ人との付き合いを嬉しく思うのです。

イスラエルでは、思っていることをズバリと言うのが良いのです。
言われた方もズバリと言い返す。
これがイスラエルのルールです。
だから、人の批判も悪口も当然本人に直接言います。
関係ない人に愚痴をこぼしても無駄だからです。
第三者の話をすると、
「お前は何故その話を私にするのか?
どうして本人に言わないのか?」と不思議がられます。

 そばで聞いていると、やかましく、自分のことしか言わず、
自分勝手に見えるけど、イスラエルの言い合いは日常生活です。
お店で買い物するのも、喧嘩みたいにみえますが、
これが普通なのです。
相手を恐れず、はっきり自分の意見をとことん言うのが大事なのです。
これが相手に対する「誠意」であり「友情」なのです。

 イスラエルの人たちを見ていると、何時間も怒鳴りあっていた同士が、
結局仲良くなって肩をたたき合う。
怒鳴られた方が、根に持たないのかと
私などは思うのですが、まったく気まずくならないのです。

私の大親友、バラさんこと榊原茂兄はイスラエルにやってきて45年。
ユダヤ人の中で生き抜いてきました。
昨日もレストランで態度の悪いウエイトレスに対して、
「あんたは何をやってるんだ、それが客に対する態度か!」と怒鳴る。
ウエイトレスは悪びれもせず、「他に何か欲しいものはないか?」と聞く。

「いちいち言わなくてもわかるよ」

こんなメンタリティーが通用しない世界。
それがイスラエルです。
彼らは、
「人は議論によって成長する」と考えています。
自分の主張をしっかり説明し、
相手も納得いかない点を説明する、
これがユダヤ人の会話のルールです。

 私はうんざりしますが、イスラエルでは勘違いや取り違えがないからよく考えると親切ですね。
イスラエルには、パレスチナアラブ人、他の人種、他民族が
混在して住んでいます。
言わなくてもわかる、というのはあり得ません。
わかるまで言わなければならないのです。

 これは、「言いたいことが言える」ということでもあります。
個性がぶつかり合い、考え方が練られ、磨かれるチャンスでもあるのです。
自分の意見言えないものは「ロバ」と評価される国です。
何か質問はありませんか?と聞くと、
ほぼ全員が手をあげる国です。

糸川英夫博士は、そんな国柄が気に入ったのでしょうね。
ちなみに私は、ガガガガガ!と言われると、
言いたいことの百分の一も言わずに、涙目になって
「わかりました」と引いて
後になって根に持つ、そんなとこです。

 さて、今日は乗り合いバスに乗ってテルアビブからエルサレムまで行ってみます。
バスの料金はとても安いです。
明日になるとツアーの仲間たちが50名やってきます。
私の時間もあとわずかです。
新約聖書の世界を、足の裏で感じてきます。

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